和歌祭「母衣」の変遷 和大紀州研で企画展

研究所で保管されている母衣の骨組み
研究所で保管されている母衣の骨組み

 5月11日に行われる紀州東照宮(和歌山市和歌浦西)の祭礼「和歌祭」を前に、和歌山大学紀州経済史文化史研究所(同市栄谷)で企画展「和歌祭と母衣(ほろ)―武具から風流(ふりゅう)へ、風流から武具へ」が開かれている。同祭の練り物の一つ「母衣」を中心に、その変遷などを紹介している。

 同研究所が平成22年から毎年開催している和歌祭に関する企画展の第5弾。

 和歌祭の母衣は、釣り鐘状の竹の骨組みに布を張ったものを背負い、「所望(しょも)、所望」の掛け声を受けてその場で勢いよく回転させる練り物で、大きな白母衣と小ぶりの赤母衣がある。

 母衣はもともと、武士の「七つ道具」の一つで、甲冑(かっちゅう)の上から背負って流れ矢を防ぐ武具として使われたが、桃山時代の祇園祭を描いたびょうぶには華美な母衣が見られ、祭礼における「風流」の見せ物に変化していった。和歌祭でも、徳川家の御用商人・茶屋小四郎がスポンサーとなって母衣を出し、最初期には布30反分の巨大なものだった。

 日清・日露戦争のころになると、戦意高揚の時代背景から祭礼に戦いの意味づけがなされるようになり、江戸期の風流な母衣は、再び武具としての練り物に変化していった。

 企画展では、母衣の変遷を絵図や史料を通して知ることができる。和歌祭で使用する母衣は毎年作り直してきたが、参加者の減少に伴い、昨年からは同研究所で骨組みを保管しており、これも展示されている。

 同研究所の吉村旭輝特任准教授は「かつて城下町の大祭であった和歌祭への関心を高め、祭礼参加者の減少の問題についても考える機会になればと思う」と話している。

 5月17日まで(土・日曜と祝日は閉館)。開場は午前10時半~午後4時。問い合わせは同研究所(℡073・457・7891)へ。

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