旧日本兵の遺品里帰り 豪から夫妻来和

世界各地で紛争が絶えず、不安定な情勢の中、日本では平和のために戦争体験を伝える語り部の高齢化などの問題が深刻となっている。オーストラリアに住むハートさん夫妻がこのほど、旧日本軍の戦争遺留品である日章旗を携え、県平和会館(和歌山市西高松、太田智徳館長)を訪れた。夫婦は「遺品の里帰りはとても大切なこと。もっと早くお持ちしたかったです」と話し、同施設資料館に寄贈した。

日章旗はハート泉さん(59)の夫ビル(60)さんの父ジョン・エドワード・ハートさんが第二次世界大戦時下のニューギニアから持ち帰ったもの。

変色した日の丸の旗には名前などがびっしりと書きこまれ、「川下廣吉君」や「海南市会議長」などの文字が読み取れる。

記された川下廣吉さんは昭和18年10月ごろ、ジョンさんがニューギニアの密林の巡回をしていた際に対面した日本兵。「対戦国の兵士と対峙(たいじ)し、どちらが先に拳銃を抜くかを問われる極限状態の中で、とてもつらいことですが、義父が先だったのです」と泉さんは静かに話す。

当時の状況は、オーストラリア・ノースショー地区の郷土歴史家で、ジョンさんの妻のジーン・ハートさん(89)が季刊誌「North Shore歴史の会」の2007年10月号に「ジョン・エドワード・ハート戦争の回想録1941年~1945年」という文献に記録写真と共にまとめており、同国の首都キャンベラにある「Australian War Museum」に、当時の様子を知ることのできる貴重な資料として収蔵されている。

ジョンさんはニューギニアでの体験を、ビルさんにはあまり語ろうとしなかったが、人をあやめてしまったことや亡くなった戦友を悼みつつ自分が生き残っていることの苦しみを抱え続け、1998年11月末に75歳で亡くなるまで、心理カウンセリングを受けていた。文献はジーンさんが時間をかけて聞き取ったことをまとめた。

ジョンさんは戦地で逃走中、足元の崖が崩れて約20㍍下に転落し、背中の打撲、右足の大腿骨骨折や、数カ所の裂傷を負った。いつも背中を痛がっていたジョンさんを見ながら成長したビルさんは「帰還兵の心と体の傷を癒やすことは国家として、とても大切で大変なことであるのに、なぜ悲劇が繰り返されるのか疑問に感じる」と話す。

泉さんは平成22年ごろから「遺品を川下さんの遺族にお返ししたい」と願い、来日し国会議事堂を訪ねるなどして川下さんの親族の消息に関して問い合わせを重ねてきた。不明のまま数年が過ぎ、この度、芸術家であるビルさんの兄の瀬戸内地方を訪ねる旅に同行して再度来日し、和歌山を訪れた。

泉さんは訪問を終えたことをオーストラリアのジーンさんんに電話で報告。泉さんによるとジーンさんは「不遇な出会いをした2人の魂がこれでやっと安らぎを得られます。歴史の一章が完結したように感じます」と涙声で話し、この度のハートさん夫妻の旅が文献に追記されるという。
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海南市出身であると思われる川下廣吉さんについて、何らかの情報をお持ちの方は、わかやま新報編集部(℡073・433・6114)までご連絡をお待ちしています。

資料館を訪れたハートさん夫妻

資料館を訪れたハートさん夫妻

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