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和歌山さんぽみちプロジェクト

家康紀行(37)賤機山に鎮座「静岡浅間神社」

 前号では駿府城公園内で平成13年に開園し、静岡の風景が凝縮された「紅葉山庭園」の魅力を取り上げた。今週は同公園の程近く、駿府城ゆかりの大名をはじめ静岡の人々の信仰があつい静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)を紹介したい。
 神部神社・浅間神社・大歳御祖(おおとしみおや)神社の三社が祭られ、静岡浅間神社は三社の総称とされる。鎮座する賤機山(しずはたやま)は、後に賤ヶ丘(しずがおか)と呼ばれ、「静岡」の県名の由来になったとされる。
 神部神社はこの地に鎮座し約2100年がたち、朝廷をはじめ鎌倉幕府や今川、武田、織田、豊臣、徳川からの崇拝があつかったという。家康は今川氏の人質として神社に程近い臨済寺に預けられていた頃から崇拝したとされ、弘治元年(1555)にはここで元服式を行っている。その際に今川義元が家康のために調進したとされる腹巻が現存しており、静岡県の文化財に指定。
 また、天正10年(1582)、賤機山に築かれた武田の陣を攻略するため、家康はやむなく社殿を焼き払ったが武田攻略の折には必ず再建すると誓いを立て、現存のものと同規模の社殿を建造。大御所として駿府城に在城した慶長12年(1607)には、静岡県の民俗文化財に指定されている稚児舞(ちごまい)を奉納し天下泰平や五穀豊穣を祈願し、その文化は現在も継承されている。
 社殿には漆塗りの極彩色が施され、合計26棟全てが国の重要文化財に指定。この地方では「東海の日光」と呼ばれるほど。広大な敷地に建つ、色彩や彫刻が施された社殿が印象的。
 静岡の人々の心のよりどころとして崇拝される静岡浅間神社。駿府城公園と合わせて訪れてほしい。
(次田尚弘/静岡市)