「移民史は現在、未来のため」 歴史学ぶ講座

 和歌山県国際交流センター主催のグローバルセミナー「移民と和歌山」が17日、和歌山市手平の同センターで開かれた。和歌山大学観光学部の東悦子教授が、ハワイや北米、オーストラリア、ブラジルなどに渡った県民の苦難の歴史を講演し、多文化共生の現代社会において「現在、未来に紡ぐための過去」としての移民史を学ぶ重要性を話した。

 1908年(明治41)、日本人移住者781人を乗せた移民船「笠戸丸」がブラジルのサントス港に初めて入港したことを記念する6月18日「海外移住の日」にちなむ講座で、約30人が受講した。東教授は、和歌山が全国で6番目に多い約3万3000人の海外移住者を送り出したことを話し、移民先の地域別に先人の歴史を説明した。

 県からの米国移民の発祥地は那賀地域であり、池田村(旧打田町)出身の本多和一郎は慶應義塾に学び帰郷した後、1880年に私塾「共修学舎」を開き、洋楽、漢学、歴史教育を行い、若者に海外への雄飛を奨励。渡米相談所を設け、多くの塾生が米国で成功を収めた。

 太地町からは筋師千代市が1891年に北米・カリフォルニアに渡り、言葉や文化の壁に苦しんだ自らの体験から、後進の移民のために仕事に必要な英会話集と料理集を併せた本『英語獨(ひとり)案内』を著した。

 カナダ西海岸には美浜町三尾地区から工野儀兵衛が渡り、フレーザー河でのサケ漁に従事するため人々を呼び寄せ、同地区に西洋文化を持ち帰り、「三尾のアメリカ村」と呼ばれる原点を築いた。

 東教授は、県内各地での移民の広がりについて、地理的・経済的条件、漁師などの住民の技術や資質といった条件の他、本多、筋師、工野ら鍵となる人物の存在を特徴として強調。「和歌山には、物おじしない、心理的な距離としては海外雄飛を近く感じている人々が多くいた」と話した。

 さらに、多くの外国人が日本で働き、暮らす現代社会にあって私たちにできることや、グローバル社会を担う若者の交流などを考える上で、移民した先人の開拓精神や努力、苦難などから学ぶことは多いとし、「始まりは知ることから」と呼び掛けた。

移民の歴史を学ぶ意義を話す東教授

移民の歴史を学ぶ意義を話す東教授

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