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和歌山さんぽみちプロジェクト

西条藩を知る(3)「西条陣屋」大手門の歴史

 前号では、紀州藩から西条藩への多数の出向者が、200年にわたり西条藩の繁栄を支援していた歴史と、盛んであった紀州藩と西条藩の交流について取り上げた。今週は、現在も西条市内に残る西条藩の遺構を紹介したい。
 西条藩の藩政の要となった「西条陣屋(じんや)」は、市の中心部、西条市役所本庁舎のほど近くに位置し、明屋敷という地名が残る。市内を流れる加茂川の河口部にあたる三角州に築かれ、1万坪におよぶ敷地に堀をめぐらせていた。陣屋とはいえ、堀との境に築かれた石垣や土塀は城の風格がある。
 版籍奉還後、陣屋の建物は取り壊されたが、明治29年(1896)跡地に愛媛県尋常中学校東予分校が開校。その後、愛媛県立西条高校となり現在に至る。
 校舎や体育館、グラウンドなど、高校の施設の全てが堀の内側にある珍しい形式。堀を両手に見ながら、堀の外側から内側の校舎へと続く通路を渡ると、木造の校門が見えてくる。この校門こそが陣屋の正門にあたる「大手門」で、当時の姿のまま現存している。
 平成14年に行われた解体修理により、寛政年間(1789年から1801年ごろ)に建てられたものであると推測されたという。使用されている瓦に記された刻印から、現在の大阪府岬町多奈川付近の「泉州谷川」の窯元で造られたものであることが明らかになったという。当時の紀州藩で採用されていた建築様式や資材が、離れた西条の地でも採用されていたのだろう。
 大手門の他にも、北御門や腰巻土塁などが現存し、その他、当時使われていた門が市内の各所に移築され、寺の山門などとして使用されている。  (次田尚弘/西条市)