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和歌山さんぽみちプロジェクト

西条藩を知る(12)十河氏、開業に「一花開天下春」

 前号に続き、西条市の名誉市民で東海道新幹線建設の推進者として知られる十河信二氏と、ともに新幹線の父といわれ、和歌山市出身の鉄道技師、島安次郎氏の息子である島秀雄氏の功績を取り上げる。
 島氏を会長とする「東海道線増強調査会」が発足した1956年5月から技術的な規格の確立と予算確保に奔走した2人の尽力で、64年10月1日、東海道新幹線は東京五輪を直前に控え、無事開業を迎える。
 しかし、開業直前の63年5月、十河氏は2期目の任期満了に伴い総裁を勇退。その後、間もなくして島氏も国鉄を退職し、2人が開業を国鉄職員の立場で迎えることはかなわなかった。東京駅で行われた出発式には両者ともに国鉄から招待されることはなく、自宅のテレビで開業を見守ったという。
 読者の皆さまは東京駅18、19番線の新幹線ホームの先に、レンガ造りの記念碑があるのをご存じだろうか。「東京駅新幹線記念碑」といわれ、そこには十河氏のレリーフと、座右の銘とされた「一花開天下春(いっかひらいててんかはるなり)」の言葉が刻まれており、73年に建てられたもの。
 「一花開天下春」とは、中国の禅僧の言葉で「長い苦労に耐え精進した先に一輪の花が開き、天下に春の訪れを感じる」という意味。長きにわたり、東海道新幹線の開業に尽くしさまざまな苦難を乗り越えた末に走り始めた新幹線の姿は、十河氏にとって感慨深いものであったに違いない。
 自身のレリーフを見た十河氏が「似とらん」という言葉を発したという。そこには、うれしさと恥ずかしさの両方が込められていたのかもしれない。
(次田尚弘/西条市)