■2002鶴保庸介
「総花的でメリハリが無いじゃない。」国土交通省の会議室に扇大臣の声が響く。補正予算の概算要求を策定する省議。役所が提出する案を見てのことである。
「もっと国民に分かりやすく、今年の予算でこんなことが実現したといえるぐらいに思い切ったものに。」副大臣、私たち政務官がそれぞれ続く。政治の側からの思わぬ反応に役所の幹部は少し複雑な顔をしている。
どうすればその要望にこたえられるか。残されたわずかな時間でどれだけのことができるのか。暗澹たる気持ちで誰かが言った。各部局でこれこそは緊急というものを出してきてくれ。しかしそこからだった。役所の超えられない壁を思ったのは。各局の局長がそれぞれに予算案を抱えて出てきている。この場で発言しないのは自らの部局の存在意義にかかわる。私は最初の発言者がいないことを願った。しかし、新米の政務官などの思いとはうらはらに、ある局長がとうとうと重要性を述べる。それからは堰を切ったように思い思いの部局が発言を始めた。
私はこういう場で発言をしないことをよしとするタイプではない。
しかし、おそらく各部局がそれぞれの予算を積み上げていく段階でもう少し融通し合いながら案を練っていくことはできなかったものか。今日本にとって喫緊の重要案件が何か。数々の部課に精通する局長は知り尽くしているはずである。それでもあえて発言する。いやせねばならない。自らの局のために。そして省のために。
私はこれからの予算編成はもう少し政治主導で進めていいと思う。たとえば、予算の何分の一かは常に大臣の方針に従って組むことを財務当局とも認めていく。あるいは縦割りと呼ばれる部局が硬直的にならないように常に局の組み替えをする。時にはアメリカのように省の組み換えがあってもいい。各局間の人事はもっと流動化させる。部局の組み替えも人事もほとんどを省自らが行っている現状では到底「思い切った」予算など組めることはない。現在でも大臣折衝なるものが存在するが、ほんの儀礼的な程度のものである。翻って、永田町。主導者たるその政治は健全か。
午前一時に新聞記者からの電話がかかる。聞くとわが党首が離党し自民党へ行くという。党首がやめてどうする。あり得ないことです。しかしまたまた政界の離合集散ですね、数合わせと翌日のテレビが嘲笑気味に取り上げているのをみて少々腹が立たないでもないが、事実無根であると大声で叫んだとしても意味はない。マスコミに貶められる政治、信頼なき政治に主導を握らせることに不安を覚える役所。役所の硬直した統治に苦しめられる国民が政治をまた貶める。真の構造改革が訪れるのはこの負の連鎖をたちきったときではなかろうか。
いよいよ年の瀬である。この季節になると、世間は華やいだムードだが、霞ヶ関の役所街は夜遅くまで連日のようにあかあかと電気がともり、朝の三時、四時の帰宅は当たり前。役人にとって最も忙しい日々が強いられる。彼らの努力が評価されるもされないも、政治の責任は重い。政治家のはしくれとして、そして国民の一人として、今年も反省の一年である。
(2002鶴保庸介)
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