わかやま新報は、和歌山市を中心とする和歌山県北部唯一の日刊新聞です。
f_ss_nikai.jpg 二階 俊博
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f_ss_tsuruho.jpg 鶴保 庸介
f_ss_sekou.jpg 世耕 弘成
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f_ss_tamaki.jpg 玉置 公良
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2003年04月08日

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世界水フォーラムに出席 高密度の議論重ねる
5_5.gif ■2003鶴保庸介

 国土交通省政務官室からは皇居周辺の桜が眺められる。天気のよい日など、優しい桜色が眼にまぶしい。しかし、役所にいる限りくつろいでいるわけにはいかない。三月は特に多忙であった。
 羽田空港管制のシステムダウンなど「事件」が起こるかと思えば、委員会答弁、予算個所付けに、雑誌の取材。揚げ句にイラク戦争ときた。花粉症で鼻をぐずぐずいわせながら、ますますいらいらが募ってくる。容赦なく振りかかってくる用務に押しつぶされそうになりながら、窓の桜を眺める毎日である。
 そんな中、ある国際会議に出張する機会があった。
 京都などで開催された世界水フォーラム。国土交通省が「満を持して」主催した国際会議である。世界の水は環境汚染の危険があるだけでなく、絶対量も足りない。案外知られていないが、“水の国”日本も一人当たりの飲料水は世界的に見て決して多いほうではない。会議では用意周到にこうした世界の今後の「水」にかかわる高密度の議論を重ね、その結果を閣僚宣言に取りまとめた。次回予定開催国であったカナダは日本の開催ぶりを見て、とてもあれほどの準備はできないと開催予定を辞退するというほど海外からは良好な評価を得た。担当部局の皆さんの努力には頭の下がる思いである。ただ、不幸なことに日本では新聞などで取り上げられることも少なかった。裏番組はイラク開戦。おかげでフランスはシラク大統領が来日を取りやめ、イランは会議の途中で帰国。イラク周辺諸国は何とか議論を戦争に結びつけたがるかと思えば、キャンセルしたけれど、どうやら戦争は順調に進みそうなので、今関西空港に着きましたと突然予定を変更して連絡してきた国もいる。
 しかし、個人的にはとても思うことが多かった。日本は相も変わらず、技術の国、金を出してくれる国であるとしか見ていない国が多いということ。言い換えればここらで日本はどういう世界の秩序を目指しているか、基本的な哲学を示さねば今後世界会議を主催してもあまり意味がないのではないのかということ。しかし国内議論がまとまらぬ今のままでは世界には何ものをも示せないではないかということである。
 言うまでもなく今、日本の国づくりは「迷走」している。銀行や市町村合併の例にあるように国民の生命身体財産を守るためと称して多くの規制(指導)をかけたが、全ての面倒は見きれないということになって、急に十分な情報も与えられないままに自由にやりなさいと「規制緩和」される。地方の再生を説くかと思えば大都市には渋滞緩和のための大深度地下道を作る。シートベルトで身の危険を守るよう義務付けながら、体に危険だと分かっているタバコは禁止しない国なのである。
 つまり、日本の政策はある一つの哲学に沿って作られてはいないのである。私はこれではある日突然日本が世界をリードすることはないと思う。
 国は経済で滅びはしない。いつの時代も外交で滅びるという。だとすれば、このことは看過できる問題ではない。
 世界をリードする国でありたい。世界に尊敬される国でありたい、とうたう憲法を持つ私たち日本人は太古の時代から桜が好きである。そんな私たちがすばらしい自然の中で生きることに何らかの価値を見いだす時代がすぐそこに来ている。そんな中、自然あふれる和歌山県が低迷させるような国に「水」を語る資格は今の日本にはないというのは我田引「水」か。先人の努力を「水」の泡にしてはならない。窓の桜を見ながらつくづくそんなことを思った。


(2003鶴保庸介)
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