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f_ss_nikai.jpg 二階 俊博
f_ss_nishi.jpg 西 博義
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f_ss_tsuruho.jpg 鶴保 庸介
f_ss_sekou.jpg 世耕 弘成
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2003年05月20日

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商業捕鯨の再開を 科学的根拠に基づく“持続的捕鯨”
5_5.gif ■2003西博義

 今週末から、ベルリンで第五十五回IWC(国際捕鯨委員会)が開催される。
 一九八〇年頃まで、私たちはクジラ肉をよく食べていた。唐揚げや竜田揚げも懐かしいが、刺身やハリハリ鍋も忘れられない味である。
 しかし、一九八ニ年、IWCは、商業捕鯨の無期限の一時停止を決定し、八八年から商業捕鯨は完全に停止された。
 その後、毎年、日本をはじめとする捕鯨国は商業捕鯨の再開を働きかけているが、いまだ道は遠い。
 日本の捕鯨の歴史は和歌山県の太地に始まる。今から四百年ほど昔、江戸幕府開設から三年後の一六〇六年、和田忠衛門頼元が、モリ打ちによる捕鯨組織「突組」を興した。日本における捕鯨業の発祥の年といわれている。
 約七十年後、子孫の和田頼冶が網取り捕鯨を考案して、遊泳速度の速いシロナガスクジラも捕獲できるようになり、捕鯨の技術は急速に西日本各地の漁場に普及した。
 その後、太地は、現在に至るまで日本の捕鯨の中心地としての地位を保ってきた。
 幸いにして、太地には小型捕鯨が存続しており、「鯨踊り」「鯨太鼓」をはじめ、鯨の郷土玩具など多くの文化も残されている。また、郷土の作家・津本陽氏の小説『深重の海』も生み出した。
 私は現在、党の「捕鯨を守る議員懇談会」の会長を務めている。日本の捕鯨に関する政策を推進するとともに、捕鯨技術の継承と鯨を食べる文化を日本に残すのが会の目的である。
 現在、日本の捕鯨は、太地など数カ所を拠点にして、日本沿岸においてIWCで規制されていないツチクジラなど約百七十頭の「小型捕鯨」と、南極海や東北・北海道沖、太平洋での「調査捕鯨」によりミンククジラ、ニタリクジラなど六百頭程度の捕獲が実施されている。
 捕獲されたクジラは鯨肉として市販されているほか、内臓に至るまで余すことなく食用に供されている。しかし、その捕獲量は戦後の最盛期に比べ、わずか一・五%に過ぎない。
 調査捕鯨は現在、日本だけが合法的に実施しており、クジラに関する貴重なデータを世界に提供している。中でも「クジラによる魚介類の大量捕食」が世界で大きく注目され、他の漁業国の関心を集めている。
 世界の海からの漁獲量は、年間約九千万トン。一方で、クジラが食べている魚は三~五億トンと試算され、クジラは世界の漁獲量の約三~五倍の魚を食べていることとなる。
 科学的な調査・研究の発達は、捕鯨問題ばかりではなく、漁業資源を管理する上でも、非常に重要な知見を与えてくれる。私は、再び、乱獲に陥ることがないよう、科学的な資源調査が行われ、それに基づいた資源管理方法のもとに捕鯨が行われるべきであると考える。
 日本では、四百年来、「ひと」と「クジラ」と「さかな」とが共生し、それが文化となって生活に根づいてきた。そうした伝統ある共生の精神に支えられ、科学的な根拠に基づく・持続的捕鯨・を推進し、商業捕鯨の再開に力を尽くしたい。


(2003西博義)
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