■2003西博義
台風一過、ようやく真夏の太陽が照りつける季節になった。夏バテの食欲不振を吹き飛ばすには、茶がゆと梅干が一番である。
さて、毎年この時期になると、気になる統計が一つある。その統計とは、八月下旬に発表される梅の収穫量・出荷量である。
先日も、梅の現況が気になり、県の担当者にお聞きした。
担当者の説明によると、今年は開花の時期に寒さが続き、ミツバチの活動が鈍かったことから、ハチによる受粉が不十分で梅の生産額は平年の三分の二に止まる見通しとのこと。しかし、その分、実が大きく単価が高値を維持したため、最終的にはまずまずの結果になりそうだと伺い、ほっとしている。
梅といえば和歌山、とくに南部一帯の梅は全国に名が知られている。
南高梅(なんこううめ)の誕生に大きな貢献をされた小山貞一さんの著書によると、営利を目的とする梅栽培は、南部川村晩稲(おしね)から始まったといわれている。
明治三十五年、晩稲の高田貞楠さんが近所の人から譲り受けた六十本の梅苗のうち、一本だけ粒が大きく美しい紅をかけた優良種を発見した。昭和六年、小山さんが高田さんに穂木を譲り受けて、高田梅として次々と梅畑を拡大した。
昭和二十五年から五年かけて、南部川村内の三十七品種が調査され、優良な品種を選定した。その結果、すべての面で高田侮が優れた成績を示した。
昭和四十年、農林省への名称登録のおり、高田梅を南高梅という名前で登録したいという話が、選定委員長を務めた竹中勝太郎さんから小山貞一さんにあり、「南高梅」と登録されたという。
「南高」という名前は、高田梅の調査に努力してきた「南部高校」園芸科と、原木の発見者の「高田」さんから名をとったといわれている。
現在、和歌山は、全国の梅生産量の約六〇%を誇っているが、その主力品種がこのとき選定された南高侮であることを考えると、関係者の先見性に脱帽する思いである。
平成六年頃から急激に拡大した梅の生育不良問題も、国・県・地元自治体による研究や現地実証試験、緊急融資などの支援、そして、梅作りこそ地元発展の基盤と、懸命に改植や土づくりに取り組む農家のみなさんの努力で改善に向かいつつあると聞く。
今後は、梅専門の研究施設を設置し、梅の栽培に関して総合酌な技術の確立を図るとともに、南高梅の中の最優良品種を選定する計画もあるという。
最近では健康ブームもあり、順調に売上を伸ばしている。梅のもつ殺菌、解毒、疲労回復、老化予防の作用が、血液の浄化、生活習慣病の予防、ガンやアレルギーにも効果を発揮するとして注目されている。和歌山農林水産統計年報によると、ここ数年ではついに伝統の「有田みかん」の売上を追い越す年もあり、和歌山県の農業産出額のトップ争いを演じるまでになっている。
梅の販売を拡大しようという努力の結果、梅酒や梅エキスのほかワイン、ゼリー、ジャム、ジュースなど多くの商品が開発され、消費者に届けられている。
地元では、戦後の南高梅誕生に次ぐ第二の変革期を目指す取り組みに懸命であるが、私もできる限りの応援をと、決意している。
(2003西博義)
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