■2003西博義
夏も終わり全国の学校では新しい学期が始まっている。すさみ町の県立南紀高校周参見分校も新学期を迎えたが、これまでと違って、“自前”の校舎でのうれしい新学期となった。
今春、すさみ町議会議員の三木量子さんから周参見分校に関する相談が寄せられた。
周参見分校は、普通科の夜間定時制で全校生徒二十人の小さな学校である。授業は、夜間、町立周参見中学校の校舎・体育館を“間借り”して行うことになっていた。
しかし、真新しい中学校の教室を借りることに遠慮や不都合があって、実際には、中学校の隣にプレハブの一階部分を不自由ながら教室として使用していた。プレハブにはトイレがなく、約三十メートル離れた中学校のトイレに行かなければならないという状況であった。
こうしたことから、地元や分校関係者から空いている中学校旧校舎を周参見分校の校舎として使いたいという要望が起こり、私に相談が寄せられたのである。
早速、県教育委員会にどうして旧校舎を使用しないのか理由を尋ねてみたところ、この旧校舎は、新校舎建設の申請の際に「不適格」校舎としているので使用できないとの答えであった。
この旧校舎を周参見分校の校舎とすべく、文部科学省などと協議しながら、実現の道を探ってみた。
協議の中で、「不適格」問題については、旧校舎の使用を制限する法的な性質を持つものではないと文部科学省から見解が示された。つまり、旧校舎は町の財産であり、すさみ町がどのように使うかは自由であるということである。
さらに、中学校校舎として建てられた施設が、本来の目的外である高校の校舎として使われても、建物が築十年を超えている場合には、国に補助金を返す必要がないことも確認し、すさみ町に財政的な負担がかかる心配もなくなった。
早速、三木さんや県教育委員会に報告し、旧校舎を周参見分校校舎として使用する方向で関係者が協議するよう助言した。その結果、すさみ町のご好意と県教育委員会の支援によって、開校五十年を目前にして念願の自前の校舎を持つことができたのである。
先日、二学期の様子を電話でうかがったところ、教頭先生は「教職員も生徒も生き生きと授業に臨んでいる。小関洋治県教育長も九月初旬に早速かけつけてくれて、学校の実情や地元の要望を聞いていただいた」と、弾んだ声が返ってきた。
司馬遼太郎の名著『街道をゆく』の「熊野・古座街道」編に“若衆組”について興味深い記述がある。
「若衆組の内部では、家柄や村落秩序のなかでの身分の上下関係はいっさい通用せず、(略)統制と若者に対する教育権は、かれらのなかの年長の者の間から選ばれた若者頭がゆだねられている」と。“若衆組”は、村落社会において教育機関のような役割を果たし、その中で若者たちは互いに切磋落磨していた。周参見分校が“平成の若衆組”の役割を果たし、未来の南紀を開拓しゆく人材を輩出する拠点となるよう願ってやまない。
(2003西博義)
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