わかやま新報は、和歌山市を中心とする和歌山県北部唯一の日刊新聞です。
f_ss_nikai.jpg 二階 俊博
f_ss_nishi.jpg 西 博義
f_ss_ishida.jpg 石田 真敏
f_ss_tsuruho.jpg 鶴保 庸介
f_ss_sekou.jpg 世耕 弘成
f_ss_ooe.jpg 大江 康弘
f_ss_kishimoto.jpg 岸本 周平
f_ss_sakaguchi.jpg 阪口 直人
f_ss_tamaki.jpg 玉置 公良
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2004年01月20日

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誇れる世界遺産を広くPR 高野・熊野を総合的にプロデュース
5_5.gif ■2004西博義

 昨年十二月、遠山敦子前文部科学大臣(現顧問)ご夫妻を和歌山にご案内した。
 一昨年に創立百五十周年を迎えた耐久高校や、串本のトルコ記念館を私的に訪問するという旅であった。
 大臣就任前はトルコ大使を務められ、現地で、百年前にトルコの軍艦エルトゥールル号が遭難したときに献身的な救助活動を行った串本町の人々の話を聞き、ぜひ串本を訪問したいと思っていたという。
 耐久高校では、教職員の代表と懇談され、教育改革の狙いなどを熱心に語られた後、創立者・浜口梧陵翁の銅像横に記念植樹もしていただいた。
 遠山顧問は「偉人・浜口翁の精神を子どもたちに伝えて下さい」と述べられたが、この木とともに母校の伝統がさらに若い世代に根を下ろすことを期待したい。
 午後からは車で熊野古道を見学していただいた。遠山顧問は文化庁長官も歴任されており、高野熊野の世界遺産登録を目前に控え、ぜひとも案内したかったからである。
 中辺路町の道の駅に車を停め、往復三十分程度の行程であったが、古来幾多の人が歩いた道を有名な「牛馬童子」まで歩いていただいた。
 山の斜面を蛇行する道は、戦後植林された木立の中を縫うように登っている。 
 歩きながら私は、「『蟻の熊野詣』といわれた時代にはこんな景色ではなかったはず」との思いを強く持った。
 数年前、中辺路町長の案内で笠塔山の原生林を歩いた。長年、人の手が入っていない所だけに広葉樹が中心の大木や朽ち木がいたるところにあり、圧倒された。
 それでも、同行していただいた生物の専門家・後藤伸先生によると「この山でも、多分、江戸時代以降のもの。紀伊半島には全く人の入っていない自然はない」との話であった。
 世界遺産は、保護・保存を目的としている。しかし、高野熊野については、保護・保存だけでなく、復元や環境整備も必要であると思う。世界遺産に登録されることをきっかけに、高野熊野を本格的に整備するスタートの年としてはどうかと考えている。
 例えば、古道に沿ったところだけでも、将来は再び、うっそうと茂る雑木林に復元することや、那智の大滝が水枯れにならないよう水源林を整備することなどである。
 また、和歌山・奈良・三重にまたがる参詣の道は、ただ景色がよいという遊歩道ではない。その歴史と文化を多くの人に知っていただくことも大事だ。
 そのためには案内人の養成が必要なことはもちろんだが、これだけ広い文化遺産をすべて見て回る余裕のない観光客のために、一目で全体が理解できる熊野古道歴史文化館のような施設やインターネット上で情報を紹介することなども必要だろう。
 高野熊野の世界遺産を総合的にプロデュースする機関を設置し、その魅力を世界にアピールしたいものだ。
 さて、古道散策のあと、遠山顧問と熊野本宮大社を訪問し、神官から親切な説明を受けた。翌日は私の都合で同行できず、ご夫妻で那智勝浦、串本の旅を楽しんでいただいた。
 国の教育・文化行政にずっとかかわってこられた遠山顧問と和歌山の現場で話し合ったことを、今後、生かしていきたい。


(2004西博義)
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