■2004谷本龍哉
三月十一日午前八時、自民党本部で法務部会が開かれ、夫婦別姓を可能にする民法改正案が議論されたが、異論が相次ぎ、今国会での法案提出は見送られる可能性が高くなった。
私の個人的意見としては、「せのかたち」は、国家が決めるものではなく、個人個人が自分たちの考え方に従って決めるべきものであり、国民がどのような選択をした場合でも不利益が生じないように制度を整備することが国の義務であると考えている。
夫婦別姓議論の始まりは、一九九六年に法務大臣の諮問機関である法制審議会が「選択的夫婦別姓制度」を答申したことに始まる。これは、結婚時に「同姓」か 「別姓」かを選択できるという制度であるが、「家庭崩壊につながる」という強硬な反対意見が続出し、議論が前に進まなくなっていた。
これに対し、今回の法案は、「例外的夫婦別姓案」と呼ばれ、夫婦同姓を原則とし、「職業生活上の事情」や「祖先の祭祀の主催」等の特別な理由がある場合に限り、家庭裁判所の許可を得て「別姓」を可能とするもので、ある意味では妥協案である。
しかしながら、今回の議論でも、「夫婦別姓は国家解体運動の一環だ」「家庭崩壊につながる」「少子化を促進する」等の反対意見が相次いだ。
考え方は多種多様であるので、反対意見が間違っているとは言わない。しかし、世界の国々のほとんどが夫婦別姓 (あるいは選択制)であり、夫婦同姓が極めて例外的な制度であるという事実を考えれば、「国家解体」や「家庭崩壊」は、あまりに極端な考え方ではないだろうか。名前さえ同じなら家庭が円満で子どもも増えるという理屈は、「形さえ整えておけば良い」という日本の悪しき形式主義のように感じられてならない。
また、これらの反対意見を聞いていると、夫婦別姓を望む人は、何か常識から外れた変わった人であるかのように聞こえてくる。この議論の中に、「差別」を感じるのは私だけだろうか。
民主主義である以上、反対も賛成も自由である。 ただ、現実に夫婦別姓を願い、「事実婚」の状態でこの制度の成立を待ち望んでいる人が少しでもいる以上、 国会議員としては、その人たちに何らかの解決策を提示しなければならない。
「幸せのかたちは、個人の自由」。日本の国はそういう国であるべきだと思う。
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参考資料 (久武綾子著 「氏と戸籍の女性史」)
夫婦同姓 日本 (他になし)
選択制 ドイツ・ロシア・オーストリア・スイス・スウェーデン他
夫婦別姓 韓国・中国・台湾・イタリア・カナダ (ケベック州) 他
民法上規定なし (原則自由) フランス・イギリス・アメリカ他
(2004谷本龍哉)
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