■2004西博義
「棚田」は、山あいの傾斜地に階段状に作られた水田である。
一枚一枚の田んぼの水に映る美しい月は「田毎の月」とも呼ばれ、その風景はふるさとの原風景として、日本人の心の中に刻まれてきた。
棚田の面積は、全国約九百市町村・約二十万ヘクタールに及ぶといわれているが、山村の過疎化、農業の担い手の高齢化や後継者難などで、耕作放棄が進んでおり、棚田の危機が叫ばれている。
先週、念願であった「棚田振興議員連盟」を発足させることができた。
発起人代表として、お呼びかけしたところ党派を超えて衆参両院議員五十五名から入会の申し込みをいただいた。
二月二十五日、設立総会を開き、文部・自治大臣を歴任された保利耕輔氏に会長をお願いし、羽田孜元総理、綿貫民輔前衆議院議長、森山前法務大臣には顧問に就任していただいた。
私は事務局長として議員連盟の活動を全力で支えていこうと決意している。
私が「棚田」に興味を持ちはじめたのは、二年前の夏、義弟の郷里・金屋町宇井苔にある急峻な谷間で、棚田跡を見てからである。
谷の両側に人の背丈より高い石垣が十数段あり、田に植林された杉は樹齢五十年の立派な木に育っていた。
義弟に聞くと、昭和二十年代後半までは田植えをしていたという。
平地のない谷間の集落にあって、山にへばりつくようにつくられた棚田跡を目の前にして、水田を開墾した先人の生きるための苦労に立ち尽くす思いであった。
その後、金屋町や清水町の棚田を訪ね、その美しさにひかれて写真を撮ったり、地元の方の苦労話を聞くうちに、ますます棚田への思いが深まっていった。
高齢化が進む山間地にある、生産効率の悪い「棚田」。その一枚一枚の水田を耕し、田植え・消毒・水守り・稲刈りと労作業が続く。
しかし今、かろうじて維持されてきた棚田に、新たな光が当たってきた。
火を付けたのは、都会の人々である。
美しい棚田を守りたい、自然の中で汗を流したい、素朴な農家の人と触れ合いたいと、多くの人が会費を出し合って棚田の維持に協力しはじめた。
これまで「棚田」は、水資源の涵養、災害の防止に大きく貢献してきたが、新たな役割として、都市と農村との交流の場として観光面での役割が期待されている。さらに、文化的景観としても、その価値が見直されている。
今国会においては、「景観法案」や「文化財保護法改正案」が提出される予定である。
「景観法案」では、農山漁村地域に特有の良好な景観づくりができるように計画をつくり、「美しいむら」の実現に取り組むことになる。
ちなみに、農林水産省がつくった「美しいむら」の説明資料には、良好な景観の例として、和歌山県清水町のシンボルあらぎ島の写真が使われていた。
また、文化財保護法の改正により、新たに文化的景観が保護の対象となる。景観法で整備される棚田や里山の中でも、とくに重要な文化的景観を選び、支援していくことになる。
日本の原風景の代表である棚田を保全するために、法整備をはじめ、関係機関や民間団体とも協力し合いながら、棚田振興に取り組んでいきたい。
(2004西博義)
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