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f_ss_nikai.jpg 二階 俊博
f_ss_nishi.jpg 西 博義
f_ss_ishida.jpg 石田 真敏
f_ss_tsuruho.jpg 鶴保 庸介
f_ss_sekou.jpg 世耕 弘成
f_ss_ooe.jpg 大江 康弘
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2004年08月31日

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インド・ミャンマー・ベトナム駆けある記 アジアの花街道 ロータス・ロード
5_5.gif ■2004二階俊博

 今年の六月の初めに、 古賀誠元自民党幹事長から、 「参院選が終わってからインドとミャンマーを訪ねてみたいと考えている」 「ご一緒に如何か」 とのお誘いがあった。 しばらくしてから、 山形のシンポジウムに出かけた際に、 秋田公立美術工芸短大学長であり、 作家の石川好先生から 「これからはインドが大切ですよ。 今は十一億人といわれているが、 やがて中国を抜いて世界一になりますよ。 日本の政治家はインドに目を向けてもらいたい」、 私は 「その通りだと思う。 頭はいいし、 経済成長もすごい勢いで伸びている。 アジアの大国同士がもっと親しい関係を持つことが大事ですね。 ところが、 最近、 古賀誠先生とインドに出かけようと話したばかりです」 石川先生は目を輝かせるようにして、 「古賀さんと二階さんが一緒にインドを訪問してくれるなら、 こんなに力強くうれしいことはない。 私も是非、 ご一緒したい」 ということになった。 その時、 私は、 「インドは仏教の国で蓮の生産も盛んでしょうから、 その面でも興味を持っている」 ことも申し上げた。
 やがて、 古賀先生を団長に、 石川先生を顧問に、 国会議員や経済界の有志と総勢三十人の 「インド・ミャンマー・ベトナム経済、 文化観光、 スポーツ交流使節団」 が結成された。
 メンバーは泉経済産業副大臣、 荒井外務大臣政務官、 鶴保国土交通大臣政務官、 松山参議院自民党国対副委員長、 藤野参議院議員 (元運輸審議官、 観光部長) の政治グループ、 経済界から清野JR東日本副社長、 玉造成田空港副社長、 川嶋新日鉄顧問、 松本日本航空専務、 戸矢全日空副社長、 高階五洋建設副社長等そうそうたる顔ぶれがそろい、 国交省から若林観光部地域振興課長が同行してくれることになった。
 この際、 早速、 インド・ミャンマー・ベトナムの三カ国を駆け足で訪ねての印象を記してみたい。
 インドは歴史も古いが、 さすが人口も多い。 日本は技術協力で、 インドの発展に大きく貢献できることは多い。 インフラ整備にも日・印の協力が重要。 やがて日本外交もインドを抜きに語ることができなくなる。 それよりもインドとの交流をさらに深めて、 潜在成長力を持つインドとの関係強化に積極的に乗り出すべき時が迫っている。 スズキの合弁会社を見学させてもらった。 見事に成功している。 観光振興にも熱心で、 「日本・インドグローバル・フォーラム」 の代表と全国旅行業協会会長の私との間で、 相互交流の潮流の糸口となるような調印を行なった。 バジパイ前首相の政党B・Jシンボルマークは蓮。 政党本部の庭に移植した 「大賀蓮」 がすでに新しい芽が出たという、 うれしい知らせが最近届けられた。
 ミャンマーは、 ヤンゴンの日本人墓地に線香とお花を捧げて、 英霊のご冥福をお祈りさせていただいた。 キ首相とも会談。 あらためてミャンマー問題にも古賀議連会長と共に一行は努力を誓い合った。 観光交流について、 首相も内務大臣も両国で協力を約束。 豊かな観光資源を活用した平和な国づくりに日本としても国民レベルで貢献できることも多い。
 ベトナムは、 私は五月に関空からの一番機で訪問したばかり。 その際依頼された、 両国の観光協議も進み、 近く観光総局長 (大臣級) が来日、 政府協定が実現の運びになった。 世界遺産のハロン湾の周遊も素晴らしい。 ハノイにも服部大使の尽力で大賀蓮が植えられ、 アジアの大賀蓮の 「ロータス・ロード」 も多くの皆さんの協力で順調。 昨日、 大使から見事に芽が出たと写真を添えて友好の花便りを頂いた。 日本はいよいよ 「アジアの中の日本」 としてその期待と責任に応えなければならない。


(2004二階俊博)
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