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2006年04月04日

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借金返済よりも本当の幸せ 政治は夢持てる社会づくりを
5_5.gif ■2006鶴保庸介

 寒中見舞いに書いたとおりライブドアの事件はやはりとんでもないものであった。 永田議員のおかげでうやむやになっているが、 政治がモラル欠如の人を経済的に成功したという理由だけで持ち上げたことの罪はどうなったのか。 小泉首相はすかさず 「がせねた」 といった。 自民党はこの総理の一言で勇気づけられた。 総理は何か知っているに違いない。 (でなければここまで断言はできないと) でも、 だとすればなぜ総理はこの人物に間違いがないかの確認ぐらいしてくれなかったのか。 検察は昨年の選挙のはるか以前から堀江容疑者に目を付けていたという状況だったというのだから。
 候補者の確認作業を怠っていては、 お話にも何にもならない。
「改革の先にあるもの」 がなんなのか。 痛みに耐えよというならなんのために、 どのような痛みに耐えねばならないかがていねいに説明できねばならない。 政権政党として戦後50年間のほとんどの政治を切り盛りしてきた自民党に言い訳は許されない。 いままでの政治では何が悪くてどの部分を改革せねばならないかを説明する責任があると思う。
 私はこれまでの日本が決して悪い政治を行ってきたとは思わない。
 社会的格差を比較的生まずに驚くべき発展を成し遂げてきた。 しかし、 そのおかげで努力せずとも生きていける、 なんとなく族が出てきた。 何のために生きているのか、 などと自分探しの迷路に落ち込んで命を落とす者も先進国中最も多い。 一方、 少子高齢化が進み、 国の財政は最悪の事態。 現在の国の借金は30年どころか50年、 100年ローンという事態である。 改革をしようにも、 すべてがバランスよく調和されていて既得権を持った人たちの抵抗にあってきた。 ざっとこんなところであろう。
 しかし、 もし、 借金の返済のためだけに改革をしているのであれば、 宴の後、 みんなでおかゆを食べなきゃということのメッセージがなければならないが、 そんなことは口が裂けてもいえない。 宴を実感した人は少なかったからである。
私はそこに問題があるのだと思う。 政治が本来考えるべきことは、 1人ひとりの幸せとは何かという理念から始めるべきものではないのか。 貧しくても本当の豊かさとは何か。 政治ができることはその最小限度のルール作りである。
 1人ひとりが夢を持ち、 それを手に入れることができるように、 安心できる社会を作ることは正しいのである。
 地方分権は正しいのである。
 敗者復活のできる社会作りは正しいのである。
 事後規制の社会は正しいのである。
 ルールはずれを少なくし、 他人の価値観を共有できる教育制度の改革は正しいのである。
しかし、 それらは国の財政を守るためではない。
 市場原理主義的社会を作るためではない。
小さな政府を作るためではない。
 官から民への流れをつくるためではないのである。
 これらは目的を達成するために出てきた副作用であって、 このことを勘違いしては本末転倒なのではなかろうか。 当選以来同じことを述べてきたつもりであるが、 まだまだ力不足。 皆さんの倍旧のご援助を願うしだいである。


(2006鶴保庸介)
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