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2009年03月24日

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ポリビオスの政体循環論 今まさに衆愚政治というべき状態に
5_5.gif ■2009大江康弘

 今から、 約2200年前の昔、 ギリシャの歴史家 「ポリビオス」 が書いた 「ヒストリー・アイ」 と呼ぶ40巻の大著の世界史がある。 その第6巻政体論の中に政体循環論が述べられている。
 それはすなわち、 政治形態はまず、 優れた指導者による一員政治 (独裁政治) から始まり、 次に暴君政治となり、 それが貴族政治へ移行し、 寡頭政治が生まれ、 次に民主政治となり、 それがやがて衆愚政治へと堕落して、 再び一員政治へと戻る循環を行うというものであり、 これをポリビオスの循環史観という。
 これを見ても2200年前に著されたヒストリー・アイだが、 いまも政治は、 その時代からあまり進んでいないように思える。
 この政体循環論をここ何百年かの日本の歴史の流れにあてはめてみても 「その通りだ」 ということを実感できる。
 今から約400年前の徳川時代初期には優れた指導者である 「徳川家康」 が中心となって一員政治が行われ、 戦乱の世に幕を下ろし、 泰平に世へ移っていった。
 それが、 やがて犬公方と呼ばれた 「五代将軍綱吉」 の出現で暴君政治となり、 ついで将軍の権力に替わるものとして 「大老」 「老中」 などが中心になり貴族政治と考えられるような政治が続き、 徳川300年が終わった。
 その後、 明治の王政復古は形の上では天皇陛下のご親政ではあったが、 実質的には 「元老」 と呼ばれる人々、 また、 枢密院の人々などによる寡頭政治であった。 それがやがて2・26事件以降、 軍閥による寡頭政治となり、 敗戦を迎える。
 戦後、 アメリカ型民主主義の導入で民主政治が生まれたが、 その後、 大衆に迎合しなければ選挙に勝てないといった風潮が広まっており、 真の民主政治は影をひそめ、 大衆民主主義が台頭して、 今まさに、 衆愚政治というべき状態にたち至っている。
 経済危機、 また、 9・11同時多発テロ以降の世界的な治安悪化、 北朝鮮の核ミサイルに対する北東アジアの不安定化等の状況の中、 日本人の精神構造を考えた時、 国内的には小沢民主党代表による考えられないような巨額の献金問題による 「お金と政治家」 の問題も浮上し、 ますます政治や政治家に対する不信、 不満が増大している。
 今日のような危機的状況にある時は英雄型のリーダーシップが必要とされ英雄待望論につながっていくのではと容易に想像できる。
 社会が平穏な時代にはバランス感覚が養成され、 かつては人事の佐藤栄作といわれる人が代表とされたが、今日の危機的状況には正にワンマンといわれた吉田茂が挙げられる。
 そのDNAを受け継いだ麻生太郎首相が今日の状況でトップリーダーとして頑張っておられるのも、 正に天の配剤、 何かの因縁かもしれない。
 しかし、 それにしても今の自民党の若手議員や要職を歴任した議員までが、 自分たちで選び、 多少の問題があっても、 大局的に麻生総理を支えることを忘れ、 世論調査の結果に右往左往し、 人気投票で 「トップリーダーを選ぼう」 などという発想はまさに、 ポピュリズムの典型でありこんな姿を見ていると情けない限りであるが、 国家論をしっかり持てない、 語れない民主党が政権を担うことの危機感を思うと、 もっとしっかりせよ自民党と、 言いたいのは私だけであろうか。


(2009大江康弘)
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