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2009年06月30日

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有権者に多くの選択肢を 中選挙区制度再考の時期
5_5.gif ■2009大江康弘

 日本の選挙制度を振り返ってみると明治22年に大日本帝国憲法が発布され、 衆議院議員選挙法も公布されたが、 選挙権を認められたのは満25歳以上の男子で直接税15円以上の納付者という限定されたもので 「制限選挙」 であり記名投票・小選挙区制でスタートした。
 その結果、 翌23年に行われた初めての総選挙の有権者数は約45万人、 人口のわずか1・1%であった。
 明治33年に衆院選挙法が改正され、 大選挙区制で秘密投票となり被選挙権の納税要件は撤廃されたが選挙権は直接国税10円以上の納付者男子と制限、 有権者数は約98万人、 人口の2・2%であった。
 大正に入り制限選挙の撤廃運動が広がり、 大正8年に選挙法が改正され2度目の小選挙区制となり、 直接国税3円以上の男子と緩和され、 昭和に入ると第16回衆議院議員選挙で最初の男子普通選挙となり、 有権者は330万人から1241万人と一挙に約4倍となった。
 そして昭和21年の第22回衆議院選挙で、 完全普通選挙が始まり、 平成6年、 細川連立内閣当時に今日の小選挙区制度が3回目として誕生。 今日まで続いているが、 この小選挙区制度が 「ねじれ国会」 の元凶である。
 元来、 この二大政党制を手本とした英国、 アメリカはどんな歴史的必然性を持って作り上げてきたのか、 そもそもイギリスは強い階級社会であり、 アッパークラス (上流社会) の利益を代弁するのは保守党、 また、 低層階級や新興階級の利益代弁者は自由党であり、 のちの労働党と、 国内においてかなり階級層の対立があった。
 また、 アメリカは国家建国時まで逆上がり国家理念で分類される。 一つは建国時の白人入植者によって作り出された個人主義的、 自立的で宗教的な国家とする見方と、 もう一つは多様な民族の複合した大きな共同体とする見方の2つであり、 前者は共和党、 後者は民主党を支持するこれらが、 二大政党制の必然的誕生の基盤である。
 このような二大政党制誕生の必然性を考えてみた時、 無理矢理、 二大政党制を作り上げねばならない必然性や必要性や理由はまったくなかったのである。
 さして変わらない(対立軸がほとんどない)2つの大きな政党が選挙の得票を争うことになるとどうなるか? 当然、大衆に向けて耳障りのよい、また、効果的な演出やイメージが先行して政策論争どころか、 人気主義(ポピュリズム)に向かって衆愚を繰り返していく結果、 政治的混乱を招いていくのである。
 意味のない世襲制限の禁止を言ってみたり、 自らの党の代表が招いた政治資金規制法の違反も十分国民に対して説明もしないばかりか、 あげくはその法律を破ったことの反省もなしに 「その法律があるからこんなことになる」 などと本末転倒のような言い訳で、 今度は 「企業献金の禁止」 と、 自由社会、 資本主義社会をしっかりと構成する企業にまで政治参加の道を閉ざしてしまうなどと言うことは、 まさに形を変えた 「言論封殺」 であり、 意味のない二大政党制を求めて導入した小選挙区制のなれの果てである。
 このうえは、 一日でも早く中選挙区制に戻し、 それぞれの選挙区において、 有権者にもっと多くの選択肢を与えれば、 政治に緊張感も出て、 なによりも地域が活性化していくことは間違いない。
 戦後60有余年経ち、 有権者は立派に自らの意思を持っている。 わざわざ、 世襲禁止などと法律で決めなくても、 ダメな政治家は淘汰されていく。
 そのためにも、 早く有権者に広く選択肢を与える中選挙区制に戻すべきである。


(2009大江康弘)
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