2010年06月28日

00.社会

「沖つ島」は片男波の砂州? 地理学の視点から新説

ユーモアたっぷりに新説を披露する小林さん

ユーモアたっぷりに新説を披露する小林さん

「山部赤人が和歌の浦で詠んだ万葉歌の 『沖つ島』 は、 片男波の砂州ではないか」。 和歌山市和歌川町の小林護さん (75) が地理学の観点から新説を語る歴史講座(同館主催)が27日、 同市和歌浦南の片男波公園万葉館で開かれた。 小林さんは、 「そう解釈すればこの歌は、 8月に国指定名勝になる 『和歌の浦』 全体の景観を見事に表現している。 皆さんのご批判をいただけたらありがたい」 と話した。

「沖つ島」 が出てくるのは、 724年の聖武天皇和歌浦行幸の際に赤人が詠んだ長歌。 有名な 「若の浦に潮満ちくれば潟を無み...」 の前におかれ、 今まで 「沖つ島」 は、 妹背山・鏡山・奠供 (てんぐ) 山などの6つの島山からなる 「玉津島山」 といわれてきた。

和歌山地理学会会員の小林さんは、 「万葉研究の偉い先生たちがおっしゃっていますが、 何か違うのじゃないかと思っていた」 と、 等高線入りの地図や干満差の気象台資料などを基に、 「玉津島山は海抜5メートル以上の台地に接しており、 大潮の満潮時でも妹背山以外は島にはならない。 もし玉津島山が島なら、 同じ標高の高松付近も海となり、 和歌浦に干潟は存在しなくなる」 と説明。

さらに、 風景を正直にうたう赤人が片男波の砂州を詠まなかったとは考えられないこと、 沖の島とは普通沖にある島を指すこと、 歌の最後に 「玉津島山」 が出てくることなどを挙げ、 「当時まだ名前のなかった砂州を、 赤人は沖つ島と詠んだ」 と主張した。

また、 同じ長歌の 「清き渚」 について、 従来は玉津島山の渚とされてきたが、「対岸の名草山沿いのなぎさと思う。 名草の語源はなぎさという説もある」と指摘。

「赤人は長歌で和歌の浦全景の素晴らしさをうたい、 反歌で潮の満ち引きへの思いを、 鶴の飛ぶ情景を動画のようにうたった。 私たちは、 今も万葉の世界に誘ってくれる砂州や広い干潟を大事にし、 その素晴らしさを売り出さなければ赤人に申し訳ない」とユーモアたっぷりに話した。

講演後は参加者らと共に玉津島周辺を歩き、 赤人が見たであろう風景を楽しんだ。





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