2010年08月16日

00.社会

戦争の悲惨さ後世に、「市民のつどい」で体験者語る

戦争の経験を振り返る平井さん - 戦争の悲惨さ後世に、「市民のつどい」で体験者語る

戦争の経験を振り返る平井さん

戦争と平和について考える「8・15 市民のつどい」が終戦記念日の15日、和歌山市西汀丁の勤労者総合センターで開かれ、和歌山大空襲を経験した市民3人が当時の悲惨な状況を話した。戦争を風化させまいと、市民団体「平和と憲法を守りたい市民の声」(松浦攸吉代表)が毎年この日に続けている6回目の催し。戦争体験者は65年前の経験を事細かに振り返り、戦争の悲惨さを語り掛けた。


会員ら14人が参加。ことしは市内在住の平井裕子さん(72)、冨田みすよさん(82)、加藤エイさん(89)の3人が当時の貴重な経験を語った。

平井さんは1945年当時、小学1年生で、幼稚園児と1歳の弟2人がいた。和歌山大空襲があった7月9日は、深夜、防空壕(ごう)に逃げ込み、B29が落とす爆弾の地響きのような音におびえたという。防空壕から出ると、近くの大新小学校の講堂に爆弾が落ちて燃えさかっており、「もう真っ赤で熱くて...」とその状況を伝えた。

防空壕から逃げる際、母親は両手で平井さんと幼稚園児の弟の手をつなぎ、一番下の弟を背中にひもで結んでおぶって走った。走るうちにひもが緩み、背中から落ちた弟は、同じように必死で逃げてきた大勢の人たちに踏みつけられていったという。平井さんは「むごいことだが、子どもはみんなに踏まれて死んでいった。母親に『母ちゃんの手、離したらあかんよ!』と言われ、必死で手を握ってた」と、生きるために明け方まで走り続けた当時のことを克明に語った。

冨田さんと加藤さんも「毎日が怖くて仕方なかった。食べる物もないし、米は大事に大事に食べた」「とにかく戦争はだめ。何も得るものがないですから」とそれぞれの経験や戦争への思いを話し、参加者は平和の尊さをあらためて考えていた。





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