2010年09月09日

00.社会

国産初の飛行船が飛んでから100年、南葵史談会が祝賀会

山田猪三郎・日本初飛行船成功百周年記念祝賀会

感謝の言葉を述べる豊間社長

「山田猪三郎・日本初飛行船成功百周年記念祝賀会」 が8日、 和歌山市新和歌浦の旅館、 萬波で開かれた。 ちょうど100年前の明治43年9月8日に、 同市出身の山田猪三郎が開発した国産初の飛行船が東京上空を飛んだことを祝い、 その偉業を後世に伝えようと、 郷土の歴史を語り継ぐ市民団体 「南葵史談会」(上野裕史代表)が主催。 54人が参加した。

猪三郎のひ孫で、 猪三郎が116年前に創業した(株)気球製作所=東京=の四代目社長豊間清さんと妻の京子さんも出席。 大橋建一和歌山市長は、 「一時は忘れられていた先人が、 皆さまのご尽力により知られるようになった。 和歌山の誇りとして偉業を特に子どもたちに伝えていきたい」 と祝辞を述べた。

和歌山大学観光学部の尾久土正己教授は、 「山田猪三郎と現在の天文学」 と題して飛行船の歴史や、 同製作所の気球を用いて学生が行っている30~40キロメートル上空での観測実験について講演。 先日の 「はやぶさ帰還」 の映像を紹介しながら、 「若者に、 挑戦することの素晴らしさを伝えた。 山田猪三郎の精神は、 今も日本の科学技術の最前線で引き継がれている」 と話した。

参加者らは、 猪三郎の人命救助への熱い思いや、 私財を投げ打ってもあきらめない不屈の精神などについて語り、 洋画家の中尾安希さんからは顕彰碑を描いた6号の淡彩画が豊間社長に贈られた。

豊間社長は、 「地元の皆さまにこんな立派な祝いの会をしていただき、 曾祖父は感激していると思います。 曾祖父は前向きな人。 その精神は 『人や世の中のためになるように作る』 でした。 私たちもその精神を核にしていきたい」 とお礼を述べた。





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