2010年11月09日

02.政治・経済

雑賀孫市の嫡男・沙也可の子孫が13日来和

=友鹿里にある金忠善肖像画より

友鹿里にある金忠善肖像画より

雑賀鉄砲衆の頭領、 雑賀孫市の嫡男といわれる韓国の沙也可 (さやか) の14、 15代子孫らが12日、 初来日し和歌山市を訪れる。 13日に行われる沙也可顕彰碑除幕式と日韓国際シンポジウム出席のためで、 主催するNPO法人和歌山の観光を考える百人委員会 (中田實宏代表理事) は、 「沙也可は日韓友好のきずなです。 関係が一層深まれば」 と、 シンポジウムへの参加を広く呼び掛けている。 当日受付。 参加無料。


「沙也可」 は豊臣秀吉の命で文禄元年 (1592)、 100人の鉄砲隊を率いて朝鮮に出兵したが、 「この戦いに義なし」 と反旗を翻した武将。 朝鮮軍に火薬や鉄砲の製造や砲術を教え、 その後も多くの功績を挙げて李王朝の将軍となり、 金忠善 (キム・チュンソン) の名を賜った。
行動を共にした鉄砲衆も朝鮮に帰化し、 韓国大邱 (テグ) 広域市友鹿里 (ウロンリ) には数千人の子孫が今も暮らしている。
沙也可が誰かについては諸説あるが、 神坂次郎さんが小説 『海の伽●琴』 で展開した 「雑賀孫市の嫡男、 雑賀孫市郎」 説が韓国でも有力。 同委員会は10年前から友鹿里を訪ね、 墓参りや梅の植樹、 シンポジウム参加などで文化交流を進めてきた。
顕彰碑は韓国産の石に日本語と韓国語で碑文を刻んだもので、 雑賀衆にゆかりの和歌浦、 紀州東照宮境内に設置される。 またシンポジウムは午後1時から同市西高松の県立図書館で開かれ、 金忠善・沙也可研究会の陳炳龍会長や神坂さんらが話す。
中田代表理事 (64) は、 「顕彰碑建立を韓国の人たちはとても喜んでくださっています。 こういう歴史事例は希少。 どんどん民間交流を進めていきたい」 と話している。

※●はにんべんに耶





この記事と関連がありそうな過去の記事

powered by weblio


02.政治・経済 - 同カテゴリの記事






カテゴリー
社会
事件・事故
政治・経済
スポーツ
文化・くらし
紀の川・岩出・海南・紀美野

これまでの特集
月別アーカイブ
株式会社 和歌山新報社
cypress.gif