2010年11月14日

00.社会

日本泳法の岩倉流が300年機に初の解説本

解説本を手に12代宗家の那須さん - 日本泳法の岩倉流が300年機に初の解説本

解説本を手に12代宗家の那須さん

紀州徳川家ゆかりの日本泳法「岩倉流」がことしで創始以来300周年を迎えるにあたり、12代宗家の那須賢二さん(62)らが同流派の泳法や歴史などを詳細に解説した初めての本を出版した。那須さんは「この和歌山という地で育んできた伝統の文化を絶やすことなく、より多くの人に知ってもらいたい」と話している。

出版された「岩倉流・伝承三百年のあゆみ」はA5版、200ページ。資料収集などに約2年の歳月をかけ、那須さんのほか中森一郎氏(大谷大学)、南川泰秀氏(岩倉流6段教士)が執筆した。

出版の準備にあたっては「(岩倉流について)書いたものは会報くらいでほとんどなかったから、1からのスタートだった」と那須さん。大正年間からの系譜探しのほか、図書館で南紀徳川史などから岩倉流が歩んできた史実・記録を丹念に調べたという。

古い文献を調べていく中、「藩命で水泳が奨励され、当時岩倉流を含め3つあった流派が教えられた」ことなどを確認。また、岩倉家の家紋「薬研鍔」(やげんのつば)や紀の川での水練の様子を紹介した大正12年版の絵はがきなど貴重な資料も収集、紹介されている。

岩倉流は日本水泳連盟が公認している日本泳法12派の一つ。紀州5代藩主徳川吉宗(8代将軍)が、家臣の岩倉郷助重昌を藩士の水泳指南役に任命した宝永7年(1710)を起源としている。

武術から発展した泳法で平泳、立泳、水入を基本に、水中発砲やよろいを着用する泳法のほか、水中から飛びはねる跳飛術があるのが大きな特徴。昭和40年に県指定文化財。

戦後、岩倉流水練学校が組織され、保存と継承が行われている。かつて練習は紀の川や水軒の浜で行ったことも。那須さんは「伝統泳法は身体の鍛練はもちろん、自分の身を守る、おぼれないためのもの。自然の川や海で泳ぐのが本来の姿であり、波や流れに応じた泳ぎ方が楽しめる」と説明する。

水練学校は今、和歌山市内のプールで幼児からお年寄りまで約110人が練習に参加している。ところが、これまでホームグラウンドだった秋葉山の県営プールの建て替えで平成27年の和歌山国体後まで使用できなくなったのが悩みの種。那須さんは「かつての水練のように紀の川に自然の練習場があればいいのですが」と話している。





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