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ちょうど100年前に夏目漱石が乗り、小説 「行人」 に登場したことで知られる日本初の屋外用エレベーター、和歌山市和歌浦中の奠供山(てんぐやま)のエレベーターを描いた屏風(びょうぶ)がこのほど見つかった。このエレベーターを描いた絵の存在が確認されたのは初めて。昨年末に大阪の骨董(こっとう)市から知人を介して入手した和歌山市満屋の溝端佳則さん(50)は、 「驚きました。昨年は建設100年でしたから縁を感じます」 と話している。
溝端さんは県立文書館主任で絵はがき収集家。本紙に 「写真でみる和歌の浦今昔」 (隔週木曜1面)を連載しており、同エレベーターについても昨年詳しく紹介している。
エレベーターは、明治43年(1910)10月に旅館 「望海楼」 が人寄せのために建設。 「明光台」と名付けられ高さは30メートル以上あったが、5年4カ月後の大正5年(1916)2月、撤去され鉄材として売却された。
漱石は 「行人」 や日記でこのエレベーターに触れているほか、翌年8月15日の和歌山講演でも、 「実は私も動物園の熊の様にあの鉄格子の檻の中に入って山のうえへ上げられた一人であります」 と話している。
見つかった屏風は6曲で高さ173センチ、幅376センチ。作者は和歌山出身の日本画家堀田象雲(ほった・しょううん)。中央にエレベーターと望海楼を描いていることから、同旅館の依頼で描いた可能性が高い。制作年は大正期で権現山から見た風景という。
背景に長峰山脈と名草山、和歌浦の海を描き、片男波の砂嘴(さし)や松林、埋め立て前の干潟、紀三井寺や雲蓋院などの社寺、御旅所の鳥居、下馬橋、家並みなども淡彩できっちりと描いている。
溝端さんは、 「まさに明治期のジャーナリスト渋川玄耳(げんじ)が 手の込んだものを、一目に見られる様 と絶賛した、開発前の和歌の浦の風景です。もしこれが一双の屏風の片方なら、もう片方もどこかにあるのではと期待してしまいますね」 と話している。
同屏風はことし一般公開する予定という。
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