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東日本大震災が発生した翌日朝に、被災地へ出発した緊急消防援助隊県隊の第一次派遣隊が、17日早朝に帰還した。阪神淡路大震災後、県内各消防本部が集結した県隊が出動するのは初めて。津波の被害を受けた宮城県石巻市女川地区で14、15の2日間捜索活動にあたった、同隊隊長で和歌山市消防局警防課の西村浩一司令(49)に話を聞いた。
被災地を見た印象は
西村司令 東北地方は雪が降るため、住宅は屋根が軽く地震には強いと聞いていた。その家々がつぶれ、地図にあるはずの場所になく、ないはずの所にある。残っているのは、頑強な鉄骨のビルの柱や家の骨組みのみ。津波の影響で魚のにおいとヘドロが混ざったような、なんともいえないにおいが漂っていた。夕方なのに真っ暗で、壊滅という言葉を肌で感じた。
現地での捜索活動は
西村司令 現地の人から、付近に住んでいた人の情報を聞きつつ、被害の状態を見て、(生きている人がいる)可能性のある住宅や建物をあたった。阪神淡路大震災の時は、かわらや屋根がつぶれた土砂を掘って、発見したおばあさんが目を開いてくれ、生存者を救出できた。今回、隊全体で69人の遺体を収容したが、生存者を見付けられなかった。津波が発生したことで、大木などたくさんの漂流物で人が亡くなり、水の恐ろしさを改めて知った。現地でも、津波避難場所として指定していたビルまで津波の被害に遭っているような、まさに想像を超えた災害だった。
県内17消防本部を指揮したが
西村司令 目的は人命救助ただ一つ。同じ活動をしてきた者同士、以心伝心で連携はとれた。阪神淡路大震災へ派遣されていない若い隊員も半数以上おり、心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの心配もあり、こちらから声を掛けることで、精神的なつらさを和らげるよう心掛けた。
予想されている東南海・南海地震への教訓は
西村司令 これだけはどうしても言っておきたい。津波の警報があれば、とにかくすぐに高台へ避難してほしい。逃げる意識を持って。3日分くらいの飲み水は常備しておいた方がいい。海岸線にいても、なんとか逃げ切った人もいる。助かるのは、運もあるかもしれないが、自分で運を高めることはできるはず。
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