2011年03月29日

00.社会/06.特集/私達にできること―和歌山から東日本へ―

「想像を超えた」、県警部隊が気仙沼市から帰還

被害について説明する楠本警部㊧と鈴木警部補 - 「想像を超えた」、県警部隊が気仙沼市から帰還

被害について説明する楠本警部左と鈴木警部補

東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市大沢地区で、5日間捜索活動にあたった県警警備部隊隊長の楠本真警部(37)、鈴木紀章警部補(33)が28日、記者会見に応じた。県隊は大阪府警、奈良県警と近畿管区連合部隊として、行方不明者2人の遺体を搬送。楠本警部(37)は「町の原形がなく想像をはるかに超えた状況。一人でも多く助けようとしたが、悲惨な被災地をあとにし、隊員一同やりきれない思い。再び活動の機会があれば希望や安心を届けたい」と話した。


県警の警備部隊は、機動隊、管区機動隊、通信員の49人体制で、19日に出発、21日から25日まで行方不明者を捜索し、26日に帰還した。近畿部隊約130人は、海岸沿いで津波の影響を受けた同地区で活動。住民によれば、約180世帯500人が住んでおり、震災で24人が行方不明になり、部隊が到着したころは7~8人の行方が分からない状態だった。

家屋の屋根や家具などが山際に押しやられ、車数台が折り重なり、がれきが数メートルの高さで蓄積していた。阪神淡路大震災の救助活動の経験もある楠本警部は、「阪神とは様子が違う。住民宅の周辺を捜索しても見当がつかず、行方不明者の発見につながらない。津波の被害は激甚で、すべてを押し流す力を認識した」。油圧式ジャッキなど持参した資機材は、被災者への配慮、重機の入るすき間のない状況から一切使用せず、隊員一人一人が手でがれきを取り除いた。積み重なったがれきを地面が見えるまでよける地道な作業だったが、楠本警部は「自分の町、家族を捜索するという意識を持って」と隊員を鼓舞し、士気を維持させた。今回の活動で、エンジンカッターやスコップなど必要な資機材を見直すこともできたという。

また、現地の被災者は、地震後に津波が来ることを予想しておらず、「海辺から家が進んできた。津波だと分からなかった」と話していたといい、楠本さんは「津波の恐ろしさを認識し、避難場所を再確認して。高台へ避難する際のルートを把握し、『夜間なら停電する』など状況別に考え、万全の備えは必要」と県民に呼び掛けている。





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