2011年06月18日

00.社会

春の叙勲 県内から42人受章

「春の叙勲」 受章者が公表され、 県内から42人が選ばれた。 教育、 社会福祉、 地方自治など、 さまざまな分野での功績が認められた。 最高齢は、 岩出市曽屋の藤井哲哉さん(87)、 最年少は橋本市の田中秀夫さん(63)、 美浜町の増田静代さん(同)。 24日から7月5日にかけて、 各省庁や県庁で伝達される。 例年4月に公表されるが東日本大震災の影響で遅れていた。

【旭日小綬章】
大岡淳人(76)元県公安委員会委員長、 海南市名高▽久保田正直(84)元海南市議、 海南市七山▽福田泰明(70)元日本弁護士連合会理事、 和歌山市鳴神▽前田雄治(84)元海南市議、 海南市大野中

【旭日双光章】
岩橋正純(79)元県肢体不自由児協会長、 和歌山市吹屋町▽大田貢(72)元県清水議会議員、 有田川町▽黒田庫司(70)元田辺市議、 田辺市▽坂野洋南(77)元東牟婁郡医師会長、 太地町▽橘勝太郎(83)県社会食品衛生協会副会長、 田辺市▽谷口陽治(70)元県中辺路町議会議員、 田辺市▽中村政右衛門(77)県社会福祉協議会副会長▽花光正次(78)元紀州漆器協同組合理事長、 海南市船尾

【瑞宝中綬章】
永澤※あきら(78)奈良女子大学名誉教授、 美浜町▽山本博之(75)元県立医科大学長、 和歌山市西高松

【瑞宝小綬章】
永廣禎夫(73)元公立高校長、 和歌山市下町▽高井良夫(70)元近畿郵政監察局兵庫郵政監察室長、 和歌山市直川▽田中一泰(70)元水戸地方法務局長、 田辺市▽中井文夫(75)元県監査委員事務局長、 和歌山市西小二里▽山本博順(77)元県警本部警備部長、 和歌山市杭ノ瀬

【瑞宝双光章】
内田勝巳(74)元公立中学校長、 かつらぎ町▽榎阪宗雄(81)元公立小学校長、 紀の川市粉河▽小中孝夫(71)元中部近畿鉱山保安監督部近畿支部指導課長、 橋本市▽高瀬可行(73)元公立養護学校長、 和歌山市府中▽原冨士代(77)行政相談委員、 御坊市▽東誉雄(71)元有田川町消防団長、 有田川町▽藤井哲哉(87)元公立小学校長、 岩出市曽屋▽萬川繁之(72)保護司、 有田市▽三浦徳夫(82)元公立中学校長、 橋本市▽山下世之彦(67)元印南町消防団団長、 印南町

【瑞宝単光章】池内慶子(66)元県技術吏員、 和歌山市島▽延与恭光(70)元打田町消防団長、 紀の川市赤尾▽北口隆彦(70)元郵政事務官、 橋本市▽栗須克夫(70)元本宮町消防団長、 田辺市▽雑賀藤兵衛(77)元消防団分団長、 和歌山市田尻▽城邦彦(79)元すさみ町消防団副団長、 すさみ町▽田中秀夫(63)元南海電気鉄道(株)河内長野駅長、 橋本市▽永岡嗣好(74)元かつらぎ町消防団副団長、 かつらぎ町▽萩原安次(80)元熊野川消防団分団長、 新宮市▽福島淳次(73)元有田市消防団副団長、 有田市▽増田静代(63)元養護老人ホーム 「ときわ寮」 主任支援員、 美浜町▽矢川和男(83)工業統計調査員、 岩出市畑毛
※みみへんに火


学ぶ姿勢、常に忘れず 瑞小・元公立高校長
永廣禎夫さん(73)~ 和歌山市下町 ~
瑞小・永廣禎夫さん(73)

昭和38年、 県立北高校が開校。 1期生の担任になり、 積極的に家庭訪問するなど生徒や保護者と向き合った。

夜、 和歌山市内の端まで自転車で走ったこともあった。 「20代半ばで生徒と年齢も近かったし、 共に歩んだという感じ」 と振り返る。 平成元年から、 県立耐久、 桐蔭高校の校長を合わせて10年務め、 卒業式や終業式であいさつする時は自作の短歌を生徒に贈ってきた。 一度、 短歌を披露しなかった際に生徒から催促があり、 「『短歌の先生』という印象が強いだろうね」とほほ笑む。 自身も中学校の教諭だった妻の兆子さん(同)は「万葉集の研究など、教師以外の場でも学ぶ姿勢を忘れなかったですね」。教え子とは今も交流があり、中には教師で活躍している人も。「保護者や生徒との関わりが難しくなった面もある。 時代に合わせてしっかりとやっていってほしい」と熱いメッセージを送る。


障害児教育36年まい進 瑞双・元公立養護学校長
高瀬 可行さん(73)~ 和歌山市府中 ~
瑞双・高瀬 可行さん(73)

昭和39年、 特殊学級の担任をしたのが障害児との出会い。 以来、 36年間障害児教育に携わってきた。 「できる限りその子の能力を高め、 社会に適応できるように育てることを使命とした」 と話す。 授業では、 みんなが理解できるように映像を使うなど教材に工夫を凝らし、 作業学習の中に、 実際の職場と同じような流れを体験できる仕組みも考案。 障害児に対する教育相談も行った。 「障害のある子でも教育を受ける場があるのか」 と相談に来た母親に 「通う学校がある」 と伝えると、 「この子に一点の光が見えてきた」 と涙を流して喜んだ。 その時から 「この教育をやっていかなければならない」 と心に決めてまい進してきた。 平成3年には現 「たちばな支援学校」 の初代校長を務め、 ほか数々の養護学校開設にも関わった。 「今後もさらに教育が育っていくように見守っていきたい」 と穏やかに話した。





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