2009年03月05日

00.社会

「雑賀衆」が400年ぶりに地元で踊る

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印南の雑賀衆から振りを教わる児童

約400年前、和歌山市から印南町に伝わった雑賀踊りを継承する「印南雑賀衆」約20人が3日、踊りの発祥地とされる矢宮神社(和歌山市関戸)で奉納した。和歌山大学紀州経済史文化史研究所が主催し、神社が校区にある市立雑賀小学校が協力。児童らは同校体育館で里帰り した雑賀衆とともに踊るなど交流した。

地域文化を研究する学生らが調査に出かけ、印南祭に参加するなど、これまで交流を深めてきたことで、今回の里帰りが実現。
雑賀踊りは、1577年3月3日に雑賀衆の長、雑賀孫一が織田信長の侵攻を阻止した時に矢宮神社で踊ったのが始まりとされる。その後、豊臣政権下で敗れた雑賀衆が再起を図ろうと、同盟関係にあった湯川衆のいる印南地方に潜伏した時に伝わったとされる。発祥の矢宮神社では絶えてしまったが、印南では、紀州藩の許可を得て踊りが復活し、350年前から続いているという。孫一が負傷した足を引きずりながら踊ったことから 「ケンケン踊り」 とも呼ばれている。一方、和歌山市内では現在、和歌祭の渡御の連の一つとして和歌浦地区で伝承されているが、印南の雑賀踊りとは芸態が異なるという。
里帰りのこの日、学生は踊りの歴史や、印南に伝わったいわれについて児童に分かりやすく説明。その後、武者姿の雑賀衆と代表の児童約50人、学生らが輪になってササラと呼ばれる木の棒をすりながら、鐘や太鼓のリズムに合わせて勇ましく踊った。
踊りに参加した5年の西山美咲さん(11)は、 「木をする感触がおもしろかった。足の動きが難しかったけど、大学生のお兄さんやお姉さんが丁寧に教えてくれた」 と話し、同研究所の海津一朗教授は 「まずは地域の子どもたちに踊りを知ってもらうきっかけになったのでは。最終的には矢宮神社の雑賀踊り復活につなげられれば」 と話していた。



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