花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に
古今和歌集・六歌仙として知られる美貌の万葉女流歌人、小野小町の墓が、実は、和歌山市湯屋谷にある。
仁明天皇の更衣だったとか言われる小野小町だが、その経歴は定かでは無く、実は、存在さえはっきりしない。
■小町伝説の地
小野小町に関する所は全国に28都道府県168箇所にも及ぶとの報告がある。
■出生
1.秋田県雄勝郡雄勝町:
小野良実(真)が出羽郡司として赴任のおり、土地の娘との子が小町。良実が京に戻った後、小町も後を追って京へ上り、再び郷里に帰って亡くなった。
2.福島県小野町:
小野篁が陸奥守として赴任のおり、土地に娘との間に生まれた子が小町。
3.滋賀県彦根町:
小野好実が通りかかって、宿の娘を養女にしたのが小町。
4.熊本県植木町:
小野良実がこの地に流され、この地で生まれたのが小町。京に上った後、秋田に行って亡くなっている。
■没地
1.秋田県雄勝町:
前述のように雄勝で生まれて京に上るが、郷里に帰って亡くなった。
辞世の歌
面影のかはらで年のつもれかしよしや命にかぎりあるとも
いつとなくかへさはやなむかりの身のいつつのいろもかはりゆくなり
2.京都府大宮町:
五十日村の甚兵衛さんが、丹後宮津の天橋立のお寺へ御参りする小町がある年急病で亡くなったので、お堂を建て葬った。
辞世の歌
九重の夢の都に住みはせではかなき我は三重にかかるる
3.その他:
茨城県新治村、京都府鞍馬道市、京都府井手町、鳥取県岸本町、山口県川棚町、光市etc
日本各地に「出生」「没」伝説が残っている。しかし我々は和歌山県民だ。没地は和歌山説をプッシュしたい。
小野小町の墓は、熊野古道・山口王子跡の南東すぐ。
山口王子跡から古道をそのまま南へ100メートルほど、開けた田畑の真ん中の小高い丘の上に墓はある。
近年、地元の住民によって墓地は整理されたようだ。一般の墓と同じ敷地内に有るので、見学の際は注意を。
真ん中に立てられている四角柱の標が『小町堂』跡を示す。表面の「小町堂」の文字が読み取れる。
「小町堂」標の奥に、無縁仏と一緒に祀られているただ1つの丸い石墓、これが伝・小野小町の墓。
■小野小町の数々の伝説
美貌を誇った小野小町についての伝説は観阿弥・世阿弥を中心とする能作者たちによって創作されたもので、「驕慢好色」と「衰老老醜」に則った仏法説話として広く広まった。
若い頃の小野小町は美貌を鼻にかけて増長し、徹底的に言い寄る男達を拒み憤死する者もいたのに平気であった。そのためであろうか、老衰してからは貧窮し、無惨な老醜に生き恥をさらしながらも生に執着し、因果応報の人生を終えた・・・。
各地に、小町の死体が無残に変化していく様を経過時間に沿って追った風葬の絵図が残されている。
■和歌山に残る伝説
年老いた小野小町が熊野参詣の途中、この地で亡くなった為、村人がお堂を建てて弔った・・・・。
世に広く広まっている小野小町伝説の最期とはやや違う展開。死期を悟った小町は、それまで見てきた醜事の救いを現世浄土・熊野に求め、参詣の途中、志も半ばにこの地で息絶えた。それを見た村人達は哀れに思い、堂を立て丁寧に弔ったのだ。
少し悲しくなる小町の末路伝説の中で、全国唯一、ほっとするエピソードではないか。すぐ近くを流れる川にかかる橋の名「小野寺橋」が今も伝説を伝えている。
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中学時代に見つけて、いかにも大発見をしてしまったような感覚に陥ったのを覚えています。ボクが「ディープスポット」などと呼んでいわゆる「俗な民俗学」にはまるキッカケとなったものだったりする。昔はちょっと荒れていて場所もはっきり分からないところに有ったんですが、最近の熊野古道ブームメントにのっかる形で、地主さんの手によって整備されたようです。何より、熊野古道の王子に立っている公式案内板に載っていますし。
これが本当に「あの小野小町の墓」であるかどうか、は、実は眉唾物なのであるが、ボクが勝手に想像するに、「小野小町の墓」であるのは間違いないんじゃなかろうか。
「小町」とは古くは宮使いの女性に付けられた役職名みたいなものだったらしい。従って、「宮使いしている小野さんとこのお嬢さん」は皆「小野小町」なのである。複数人居てもおかしくないじゃないですか。いろんな時代にいてもおかしくない。そのうちの誰かの墓なんじゃなかろうか。小野小町の伝説が全国に残っていようとも、それなら全てに形がつくわけで。
ああ、ロマンの無い話をしてしまった。それでもボクは信じています。何人もいる「宮使いしている小野さんとこのお嬢さん」のうち、百人一首にアッチ向きで載っている「小野小町」さんの墓が、これであると。