平安時代を生きた史上最強の呪術師・安倍晴明を祀る社が、龍神村にある。
道の駅・日高川龍游から日高川を遡るように東進、途中で支流の丹生ノ川に沿って進路を東にとる(県道735号・龍神十津川線)。民家はどんどん少なくなるものの、道路は整備されていて心地よいドライブコースとなっている。暫く進むとトンネルが現れるので、その手前で谷側に靴先を向け、林道のような道を進んだところに社は突然姿を見せる。
あまりに唐突である。社自体大きなものではないが、それこそ林業関係者しか足を踏み入れないような道の先にホツリと存在する。掃除は行き届いており榊も新しいことから、忘れ去られた存在ではないのだろう。しかし、我々の知る、あの華々しいイメージとはかけ離れた、簡素な社殿である。
屋根の社紋(?)と、建碑の五芒星だけが、安倍晴明を祀る祠であることを主張しているように見える。
村史によると、
丹生ノ川の川族で夜な夜な怪光を放つものがあり、里人が拾いあげてみると、それは神秘の光を放つ玉石であった。人々はこれぞまさしく晴明の御神体なりと称し、祠を建て大明神としてあがめ親しみながら平安の昔より崇拝されている(村史下巻p.253)
とのことで、そのベースとしてこの土地には、こんな伝説が残っている。
谷口地区付近ではイノシシやシカに作物を荒らされたり、田地にはヒルが多く里人が難儀している、と聞いた晴明が『毎年霜月(旧暦11月)23日を拙者の忌と定め、もちを供えて我を祭るべし。さすればそれらの害を除いて進ぜよう』というやいなや谷口から姿を消した。それ以来谷口のヒルは人に吸い付かない。晴明がヒルの口をひねったという話も残る。(村史下巻p.252)
晴明が一若という者の家に宿泊した際、晴明が大金を持っていることに一若が気付き、それを奪おうとして晴明を崖から川に突き落としたが、晴明は死なず、一若は逆に呪を掛けられ一族は絶えた。その後この地を「晴明転がし」、落とした淵を「晴明淵」という。(村史下巻p.252)
祠の正面は深い谷になっている。
付近が「晴明転がし」であろうが、ここぞという場所は確認できず。この当りは清流だが流れが激しく蛇行しており、それっぽい淀みもあるんだけれども、どこが「晴明淵」かは分からなかった。この丹生ノ川の対岸、笠塔山にも晴明伝説が残っている。