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2009年11月16日
ダム湖に沈んだ埋蔵金伝説


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 平成元年3月、ひとつの村落がダム湖の底に沈んだ。代々口伝されてきた埋蔵金伝説とともに。
 日高川町・椿山(つばやま)ダム。湖畔の桜並木が有名で、シーズンになると花見客で賑わう。また今の紅葉シーズンもすばらしい。

 椿山ダムは、県内最大の二級河川である日高川中流に位置する多目的ダムで、洪水調節、不特定用水の補給および発電を目的としている。有田川の二川ダム、広川の広川ダムと同様、昭和28年7月の大水害を契機に計画されたダムで、日高川の治水の要として期待されている。
 ダムに関する調査は昭和39年に始められ、四半世紀の歳月を経て平成元年3月に建設事業の完成を見た。水没移転者は188戸、約400人。建設事業中で一人も犠牲者を出しておらす、ダム本体では178万時間無事故無災害の記録を達成している。
(パンフレットより転載)

 水没した地域のなかで、串本地区はその中心地的な場所だった。ダム湖東西のちょうど真ん中あたり、現在の常盤橋周辺がそこにあたる。

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 串本地区で古くから行われていた奇祭・パチパチ祭り。毎年1月8日になると地域の住民が串本薬師堂に集まり、五穀の豊作と害虫の追放、病気の平穏を願って、クロモジの枝で堂の周囲をパチパチと叩いて回る。その後、熊野の御札(烏牛王神符)をその枝に挟み各自持ち帰りお守りにしたという、神仏混交のおもしろい祭りである。

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 本来湖底に沈む場所にあった串本薬師堂は国道沿いの高台に移築されている。今でも1月8日には他に移住した地域住民がここに集まり、祭を保存しているという。
 薬師堂のちょうど裏側に、村と一緒に沈んだ串本小学校の顕彰碑と、在校生が思い出を詰め込んだタイムカプセルが置かれている。2枚目の写真は常盤橋から元串本小学校跡地を望んだところ。

 このパチパチ祭り参加者たちの間で、古くからの言い伝えがあった。

 朝日射し夕日かがやく桜木の 小判千両 後の世のため

 埋蔵金関係に少しでも興味のある方ならピンとくるのだろう。かの有名な「朝日夕日伝説」である。かの有名な、というよりむしろ「日本で最もありふれた埋蔵金伝説」と言えるかもしれない。これに似た文言の伝説は和歌山県内はもとより日本各地に数多く残されており、そしてそのどれもが事実に関係ない、単なる噂話であるとアカデミック方面ではバカにされている現実があるのだ。しかしどうなのだろう、本当に真偽を確かめた者などいるのだろうか。で、もし本当に何か出てきたらラッキーじゃん。当部が調査を開始した発端である。

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 現地に入った調査部はまず始めに地域の民族資料館へ足を運んだ。民族資料館といえばどこも地味な存在であるけれども、そこには必ず何かのヒントが潜んでいる。それが当調査部の「鉄の教え」である。

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 美山歴史民族資料館は美山温泉愛徳荘に併設された建物で、非常に新しく美しい。が、例に漏れず地味である。訪ねると、スタッフの今枝善生氏が対応してくれた。イベントの準備に追われている様子だったが、わざわざ展示物を一つ一つ説明してくださった。

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 館内は広く、歴史、暮らし、民族、産業について順路に沿って整理展示されている。水没した串本小学校についてのコーナーもあり、卒業生たちが懐かしがって訪ねてくることも多いという。パチパチ祭りについての展示もあり、我々は詳しい説明を受けた。

隊員「実は我々は埋蔵金の噂について調べていまして」
今枝「ありますね、地域では有名な話です。」

 今枝氏の目がキラリと光った。最も胸が躍る瞬間である。今枝さんの解説によると、例の「朝日夕日伝説」は、平家の落武者伝説と深い関わりがあるようで、落武者伝説が色濃く残る美山~龍神地域では「ほんまに埋まってるんちゃうか」的な口承として伝えられており、誰でも知っている話らしい。また、旧美山村地域には県内最高峰クラスの山が峰を連ねており、その谷あいは身を隠すのにはもってこいの場所だったのではないか、そして、埋蔵金を隠すにも適した場所だったのではないかと。
 実際に、急峻な斜面や人が足を踏み入れないような深い山奥に豊かな実りを示すかのような地名が残っていたりするという。

 柔軟に我々に対応してくれる氏を調査部に引き入れたくなったが、氏は決して妄想を語っているのではない。郷土を愛する心、ヨソ者に対して土地を良く知ってほしいと願う心の現われなのである。

「だいたいこの辺りじゃないかといわれている場所を知っています」

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 そう言って地域の立体地図を指差す今枝氏。「この辺りには桜の木も少ないので、もしそれがキーなら特定できたりするかもしれませんね」

 ははーん、氏も子供の頃、親の目を盗んで山に登ったことがあるな。

「でも何もないですな。人はほとんど寄り付かない場所だし、クマやイノシシも出ますし。」

 ほらやっぱり。

 「危ないですよ」と言いながら決して我々を止めない氏にお礼を言い、一路、氏が指し示した場所を目指した。そこは、旧美山村の東の外れ、「西ノ谷」と「東谷」に挟まれた峰だ!

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 なるほど、西と東を夕日と朝日で暗喩したというわけか。しかもそのどちらも日が差すといえば谷ではなく峰だろう。だいたい、西とか東とかいうからには、「何か」の西と東にある谷であろうというのは納得できる。し、しかし、簡単すぎませんかコレ。

隊員「・・・ロマンやな。」

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 地図を見ながら、旧美山村寒川から龍神に抜ける県道田辺十津川線を小藪川に沿って東進、途中の林道から北上し西の谷側からアタック。山の中をひたすら走るが、道路は美しく、案内板も結構細かく整備されていて走りやすい。途中、休憩ポイントにちょうど良い湧き水が数箇所ある。

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 いよいよ西の谷にアタック。野生動物が多く出没するのだろう、電気ショック式の防護柵が沿線一面に張られている。かつて林業が盛んだった頃はこの道を往来する人も多かったのだろうが、ここ最近はほとんど通らないらしく、古い轍が細い路面に残るのみ。舗装も相当に荒れている。

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 暫く行くと、地崩れが道路の半分を埋めている所に出会った。時は夕暮れ前、大きな落石も目立つようになってきており、これ以上進むのは危険と判断し、止むを得ず引き返したのだった。さきほどの今枝氏の話によると、この先しばらく進むと道路は消えており、そこから山を尾根まで登ったところだいう。

 次期シーズン、メンバーを揃えた上で再度アタックすることを現場で決定。その時には当然、温泉もセットである。
 峰の桜木の根元に埋蔵金が眠るという。湖畔の桜も満開の頃、春の日の夢を見に再チャレンジである。



2009年11月16日 14:08


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