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2010年01月16日
日本一!風吹山弁財天


 岩出市・備前交差点から北へ折れ、県道泉佐野岩出線を北に向かって走っていると、右手の林になにやらひょっこりと見えるものがある。お気づきだろうか。
 そこが今回の調査ポイント、風吹山弁財天である。

風吹山弁財天

 林の入り口に大きな看板が立っており、その林自体が境内だと分かる。境内の周りは土取りと道路拡張工事に削られて、すっかり孤立してしまっている。いやむしろ、工事がその場所をあえて避けて行われているのだろう。

風吹山弁財天

 入り口を入ってすぐ、浅い谷に掛けられた「安楽橋」を渡る。そこから先が境内なのだが、早くもただならぬ空気が隊員を襲う。

 境内は広さ約300坪程度で広大と言うほどではないが、そこに所狭しと仏像が並べられている。しかし、一般的に言うお地蔵さんサイズの仏像は皆無で、全てが見上げるほど巨大。そして、全てが漆喰塗りのような白色。これが一種独特のアトモスフィアを醸し出している。お地蔵さんは石造りであればこそ落ち着くものなのだとも痛感。
 これらの像を造ったのは、県内出身の芸術家・角田蘇風氏だ。製作素材としてコンクリートや樹脂を使った先駆け的人物で、その写実性に富んだふくよかな造形が氏の持ち味だ。

風吹山弁財天

 境内に入ってすぐ姿を現すのが、ただならぬ造形の御百度石。人の身長ほどの固まりに十六童子像その他が埋め込まれてある。石というには程遠いもので、逆に言えばお百度を踏むパッションを受け止めるにふさわしい。

風吹山弁財天

 境内東側に並ぶのは恵比寿社と幸福地蔵尊。どちらも非常にデカい。デカさが有り難さだとは思えないのだが、そういう時代もあったということだろうか。そして、ガンプラぽく言うとどちらも「情報量が多い」。やけに写実的なのである。

風吹山弁財天

どちらももっと広いところに置いてやりたい気がする。2体の場所に無理矢理押し込むような形で、立里荒神から勧請した荒神社の社殿がある。

 境内の西側に鎮座するのは英霊殿。納堂になっていて、中には第二次大戦で亡くなった英霊が納められているようだ。このような堂はどこの寺社にでもあるものなのだが、特筆すべきはその軒上の巨大な顔。白隠慧鶴の「達磨像」あたりを模したと思われるが、メジャーどころを持ってくるあたりがさすがの巨匠っぷりである。

 そして境内北側のもっとも奥まったところにあるのが、ご本尊である大弁財天像。正面にしつらえられた拝殿にある由緒書き(細かすぎて見づらい)によると、開眼は昭和42年(1967)4月。

 全高7mの同像は光明皇后がモデルといわれ、当時、日本一の大きさ、かつ、日本一の美しさであると謳われた。胎内には、風吹山弁財天を私費で創始した原田啓之助氏が、近くの山で拾った弁天像が納められているという。開眼式は結構なイベントとして執り行われたようで、TVの全国中継なども行われたようだ。

 確かに美しい造形だ。一般的な仏像とは一線を画す優雅さを持つ。他の像と同じくコンクリート造り(漆喰塗り?)で、宙に浮く羽衣などの表現はだからこそ実現できるものだろう。

 和歌山の巨匠・角田氏の仏教アートが詰め込まれた狭い空間、それがこの風吹山弁財天だ。

 じっくり見るとなかなかに見事なのだが、交通量の多い自動車道に面していることもあり、どうしても作品が汚れてしまっている。境内を包む雑木もやや荒れている。現在、原田氏の御子孫が維持保全しておられるということなのだが、なかなか手が回らないのだろう。
 自治体には、この空間を貴重な文化財として今一度見直すことを進言したい。年に一度の大掃除で、白亜の巨像達はもっと映えることだろう。

 関連記事:
和歌山城の『伏虎像』は角田蘇風作品だ!伏虎像の謎に迫る!【新年号5部34面】 (角田氏についてもこちらに)



2010年01月16日 10:40


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