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2010年05月11日
中橋の謎 その1


 日常生活上で普通に存在する「橋」。水路で分けられたエリアをつなぐナイスな「橋」を、ふだんマジマジと見つめる機会はとても少ない。
 「中橋って、鉄道橋ぽいですよね」
 和歌山ディープスポット調査部横浜支局の次田尚弘研究員(鉄オタ)のそんな一言で、この調査は始まった。

 和歌山新報社があるビルの正面にある中橋。普段何気なしに通過するこの橋は、同じ市堀川にかかる他の橋と見比べてみるとひときわ異彩を放っている。他に比べて決して大きいほうではないにもかかわらず、鉄骨剥き出しでビス止めも荒々しく、やたら大げさだ。

 鉄道橋ぽい、という次田研究員の見解は実は正解で、この橋はもともと鉄道で使われていたものを転用したものらしい。土木学会土木史研究委員会のまとめによると、この橋の様式はイギリス製ポニーワーレントラス(平行弦,ピン結合,下路)型と呼ばれるもので、明治23~32年製とのこと。さらに、もともと東海道線桂川に架かっていたものを昭和28年に拡幅改造して転用したものらしい。
 ちなみに、組まれた三角形の斜辺がW字型に配置されたトラス構造を「ワーレントラス」といい、そのうち天井部分の部材がない構造のものを「ポニーワーレントラス」というらしい。がまあ別にどうでもいい。

 件の中橋をクローズアップ。東西に流れる市堀川を南北に接続する同橋は緑色の錆止め塗装で、リベットが無骨に打たれた荒々しい姿だ。錆も目立ち、現状では美しいとは言いがたい。南北端には標石が立っており、北端側に「中橋」、南端側に「なかはし」「昭和28年3月竣工」の銘プレートがある。西側に増設されている歩道橋は後付けのようで、北西と南西の標石はその際に作り直されたもののようだ。
 側壁をなす台形はぐるり一体のようで、四角は優雅な曲線を描いている。

 一般的な「鉄橋」イメージを形成する側壁の「ギザギザ」もよく見ると面白い構造だ。ギザギザは2枚構造であり、その間をさらに細かいギザギザで接続してある。そしてその細かいギザギザは橋の中心部で見られ、近岸部では省略されている。ラーメン構造をラーメン構造で支えるという、当時の土木建築技術の粋を集めて軽量化と強度保持を両立させた、なかなか「見どころのある橋」であることが分かるのである。


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 さて、実は結構大したヤツであるこの中橋には、兄弟橋が存在する。

 JR和歌山駅東口から真北に国道24号を接続する通称「水道道」。それを横切る大門川に架かる、ぱっと見、中橋なのかそうじゃないのかさえ見分けずらい橋。名は「新興橋」という。

 対向1斜線の細い道であるにもかかわらず交通量が非常に多い道に架けられた橋であるため、気付かない人も多そう。こちらの開通は昭和29年3月で、ギザギザは8つ(中橋は9)。少し短く改造され転用されたらしい。ルックスは色味も錆っぷりもクリソツである。

 こちらにも歩道橋が増設されている。昭和54年3月竣工で、見た目も美しい。今となってはこの歩道橋無しでは徒歩でこの橋を渡ろうとは思えないほどの交通量。モータリゼーションの歴史を新興橋は見てきたのだろう。

 どうですかこの複雑なフィジカル感。構造物オタクなら鼻息も荒くなるにちがいない。鉄骨の路底にアスファルトを積層して路面にしているのが見て取れる。錆は見た目以上に内部に進行する事があるとも聞くので、強度面から考えて再整備してやってもいいんじゃなかろうか2橋とも。


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歴史的鋼橋集覧より
■中橋 http://library.jsce.or.jp/jscelib/committee/2003/bridge/T3-019.htm
■新興橋 http://library.jsce.or.jp/jscelib/committee/2003/bridge/T3-020.htm


印象的な側壁上端のカーブは両橋に共通である。

ところで、なぜ同じ仕様の橋が複数あるのかという事について。

 明治時代、ボーナルという技術者が単線100フィートのポニーワーレントラス型鉄橋を設計した。それを標準トラス桁として150ユニット製造されたのだが、明治31年、このうち30ユニットあまりが京都桂川鉄橋として架設された。この鉄橋は大正元年(1912)に建替えられ、うち9ユニットが徳島市と小松島市の境を流れる勝浦川に架かる牟岐線に転用。さらにそれが昭和25年に撤去され、中橋と新興橋に転用されたと見られる。ここらへんの経緯は、かつて弊紙に連載しておられた一級建築士・中西重裕氏の分析が詳細だ。氏の著書「わかやまワクワク探検隊~明治・大正・昭和たてもの物語」(和歌山新報社発行)でも説明がされているので興味のある方はご一読を。


橋の裏面(中橋)

土木学会 資料
http://www.jsce.or.jp/committee/hsce/2800/list_whole%20%282800%29/29_wakayama.htm

 そんなこんなで、中橋と新興橋は同じ時期に同じ鉄道橋から転用されたらしいつうのは、はっきり言ってネットでググれば出てくる話なのである。しかしそれで終わってはわかやま新報の名が廃る。おもろい事もなんともない。次田研究員が持ち込んだ報告はさらなる新たな展開をもたらしたのだった。

 続きは次週あたりに。


2010年05月11日 15:36


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