政治家のリーダーシップ 有権者が真剣に考える時

大江 康弘

 2年間で3人目の総理。

 いつか来た道、民主党が野党時代、与党自民党に対して「毎年、日替わり定食のように総理が代わる」と、口汚く批判していたが今、ブーメランのようにその身に同じ台詞が返ってきている。

 この人事に限らず民主党政権の全てが、野党時代に「吐いた唾」が天から降りかかっている状況は正に日本の不幸と言わずにはいられない。

 さらに考えさせられるのは「リーダー」とは「リーダーシップとは」また、「器とは」という言葉の持つ意味であり、繰り返し自問せずにはいられない。

 今日は、皆さんと「リーダー」「リーダーシップ」について考え、果たして今の日本に本当の舵取り役がいるのかも考えてみたい。

 戦後、有権者(国民)も求める政治家像が大きく変わってきた。そして風潮は道徳過剰で「清く、正しく、美しく」と風は三拍子を求めたがっているし、同時に「賢い」政治家を選びたがる。

 しかし、一体この「賢い」というのを何で判断するのか?

 最近は「偏差値」で判断するらしく「いい大学を出た」「国のキャリア(官僚)だった」「名のある一流企業に勤めていた」等々、こんな出自なら有権者はすぐ信用してしまう。

 しかし果たして政治という分野はこのようなリクルートで良いのだろうか。

 本来はもっと大きく、深いそして広い常識を持ち得るのが求められる「賢明さ」ではないだろうか。

 我々は日ごろ、簡単に「リーダー」という言葉を使うが、元々リーダーなら誰も、その与えられた役職には必ず「職務権限」があり、周囲の人間は、その職務権限内での命令には従うが、それだけでは進まないところに政治の難しさがあり、そこで求められるのが「シップ」である。

 私の経験から言えば「リーダーシップ」の「シップ」とは、そのリーダーがいかに「人として」周囲の人達に人間らしい優しさの中で威厳を持ち、それらしい心遣いを見せながら命令してくれるかという事で、「政治主導」と言って上から目線で官僚、役人を自己否定し、その存在すら認めないような意識で、職務権限を発揮しても決してうまくいかず、それはリーダーシップなどとは、ほど遠いものであり、まず信頼関係をしっかり築くという事である。民主党政権による不幸は、彼等政治家達が「シップ(血の通った人間らしい心の温かさ)」に欠けていたところにある。

 確かに日本民族は相互扶助、相互信頼、共同体精神を持っているせいか、リーダーではなく、まとめ役を求めたがる。

 今回の東日本大震災で国民が発揮した組織性や団結力を重んじる規律ある行動という日本の長所は世界から絶賛されたが、逆に指導力ある政治家=強い政治家を生み出せず、永年にわたり日本政治の脆弱性に結びついた。

 組織を重んじる形でのコンセンサスで物事の決定を図ろうとすれば、その決断は長引き非効率となって間に合わない。

 団結をむねとし、個人よりも集団の利害を第一に考えてきた日本の風土では、力強い政治家の現出は本来無理である。

 信頼を置け、官僚も追従できるカリスマ性のある指導者こそ、緊急事態への対処において最も求められるものであるが、経験や知恵、専門性を否定し、良き伝統さえも認めない「民主党のDNA」は、今回の震災後の被害を更に大きくしたと言える。

 改めて、この国難にあって今後の日本の再生を考えた時、有権者こそ真剣に「政治家像」「リーダー像」を考える時期であり、それは同時に有権者の義務と言える。

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