直川の浅江さん 津波体験談語る

津波防災の日
今もあの日のことは姉妹で語り合うという浅江さん

 きょう5日は初の 「津波防災の日」。 和歌山市直川の浅江かずえさん(81)は、 死者・行方不明者約1400人を出した昭和21年12月21日未明の昭和南海地震で津波を体験した一人だ。 当時住んでいた海南市内海は三方が海。 浅江さんは大木によじ登って助かった。 暗い中、 妊娠中の姉を含む5人姉妹と両親は、 それぞれが自分の判断で避難し幸い全員が無事。 浅江さんは 「とにかく逃げること。 『津波、てんでんこ』 (てんでに逃げること)が一番大切」 と話している。

 この南海地震は、 震源が潮岬沖約80㌔㍍でマグニチュード8。 津波が紀伊半島と四国、 九州の太平洋岸を襲い、 和歌山県の死者は約270人、 家屋全壊は約1300棟。 3・5㍍の津波に襲われた海南は、 串本に次いで被害が大きく、 18人が犠牲になったという。

 津波の威力について浅江さんは、 「2回目、 3回目とだんだん強くなる。 この日は何度も来ました。 船も流れてきた。 特に恐ろしいのは 『引き波』。 すごい勢いでした。あちこちから叫び声が聞こえ、阿鼻叫喚(あびきょうかん)とはこのことか」 と話す。

 水は2階の際まで押し寄せ、 家は柱だけに。 仏壇は自宅からはるか遠くで見つかった。「お正月用の晴れ着も全部駄目になって。 木の上で見た月が心に残っています」と、16歳の少女らしい思い出も。

 東日本大震災の津波映像に言葉を失った浅江さんは、 あらためて 「自然の力は人為を超えている」 と痛感。 予想される南海・東南海地震の津波に対して、 「まず逃げて。 それから、 津波は何回も何回も来ます。 油断しては駄目」 と話している。

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