首相公選制の議論を 現行憲法でのアイデア

阪口 直人

 史上例のない少子高齢化が進み、 社会保障の負担が増す中、 国と地方を合わせると1000兆円を超える借金が、 政策選択の幅を狭めている。 ねじれ国会が常態化し、 「何も決められない国会」 が迅速な意思決定を妨げ、 国益を損なうことがあってはならない。 今こそ、 首相公選制導入について国民的な議論を行い、 「国民が直接選んだリーダーがより強い指導力を発揮できる」 環境づくりについて、 真剣に考えるべき時期に来ていると思う。

 私はカンボジアやモザンビーク、 東ティモールなど、 紛争や混乱によって人々の権利が傷つけられた国々における民主化支援というフィールドで長年活動してきた。 あえて言えば 「強いリーダー」 よりも 「民衆の意志を反映させる政治」 の実現を重視する立場で活動してきた。

 昨年、 一昨年と中央アジアのキルギス共和国の選挙監視を行ったけれど、 独裁的な 「強いリーダー」 が長期政権を続ける中央アジアにおいて、 「大統領制の権限を大幅に削り、 議会により多くの権限を移行する」 歴史的な挑戦に意味を見出し、 その挑戦をサポートするのが目的だった。 それは、 少数民族など弱い立場の人々の意志を尊重する民主主義の機能がより高まると考えたからだ。

 しかし、 リーダーの指導力を強化することと、 議会制民主主義の質を高めることは、 決して相反することではない。 リーダーが国民から直接選ばれること、 アジテーター(扇動者)としての能力だけではなく、 人格、 ビジョン、 政策など、 あらゆる面からリーダーの素養を試す選挙であるという条件さえ満たすことさえできれば。

 米国における大統領選挙は野党の候補者指名を含めれば2年近くの年月をかけて行われる、 まさに総力戦だ。 一方、 日本における衆議院選挙は、 年金や郵政、 消費税など、 生活に身近な政策が争点になることが多いが、 そのようなテーマ設定だけで国のリーダーを選ぶべきではないと思う。 人類史上例がない少子高齢化がさらに進む現実を踏まえ、 国の将来をどのような方向に導くのか、 また、 個々の政策だけではなく、 国の制度、 地方との関係など、 政策を実施する上での枠組みをどうするのか。 また、 アジアの中の日本、 世界に貢献する日本として、 どのようなビジョンを示すのか。 こんな大きなテーマについても議論を続ける中で、 候補者の器が明らかになっていく。 その過程でプライバシーも含め、 メディアに丸裸にされるかもしれないけれど、 例えばスキャンダルに対してどのような対応能力を発揮するのかで、 国家の危機への対応能力が試されるかもしれない。

 こんな本格的な議論(選挙プロセス)を重ねた上で、 国民が直接リーダーを選ぶ。 選ばれたリーダーは、 政策にも、 ビジョンにも国民が同意した状況で政権運営を行う。 「直接リーダーを選ぶ」 ことで、 主権在民の原理を前進させ、 国民の政治意識・責任感も向上できるだろう。 首相公選制を実施している国家は現在ないが、 イスラエルは1992年から2001年まで導入していた。 残念ながら、 上手くいったとは言えないけれど、 その失敗も踏まえ、 積極的に導入を考える時期に来ていると思う。

 憲法67条では 「内閣総理大臣は、 国会議員の中から国会の議決でこれを指名する」 と明記されており、 首相公選制には憲法改正が必要であるとして、 現実的ではないと考える人たちもいる。 先日、 松沢成文前神奈川県知事を囲んでの勉強会に参加したが、 松沢氏は、 憲法の規定を改正せずに解釈運用を工夫し、 国会で 「首相公選法」 を制定することで、 実質的に国民が首相を選ぶ制度に変えられると主張をされていた。

 国会議員の中から首相候補者を決め、 有権者に提示。 中央選挙管理委員会のもと討論会を広く行い、 国民が国家のリーダーにもっともふさわしいと考える人物を直接選挙で選択するという方法だ。 投票によって相対多数を得たものが国会における唯一の首相候補になり、 国会は主権者である国民の選択を尊重して、 内閣総理大臣として指名。 天皇が任命すれば、 現行の憲法を変えることなく首相公選制に移行できるという。 非常に興味深いアイデアだと思う。

 首相公選制は橋下徹大阪市長も 「八策」 の柱に掲げている。 実行力と影響力を持った地方リーダーが問題提起してくれたことが大きな推進力になることを期待し、 国会でもこの議論を深めたいと思う。

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