WAKAYAMA NEWS HARBOR
和歌山さんぽみちプロジェクト

「橋杭岩」の起源と伝説 自然と歴史が織りなす造形美

岩柱が特徴的な「橋杭岩」。奥に「くしもと大橋」が見える

 前号から「吉野熊野国立公園」について紹介している。今週は「橋杭岩」の歴史と伝説にふれたい。

 「橋杭岩」は本州最南端の串本町に位置する景勝地。和歌山市から南東に約100㌔と、紀北の方々にとっては小旅行で訪れる感覚があるかもしれない。柱のような岩が一直線に並ぶ光景から、どこか奇怪なものを感じるのは筆者だけだろうか。

 起源をたどると、今から1400万年ほど前、紀伊半島の南部では著しいマグマの活動があり、地表から数百㍍のところへマグマが流れ込み、冷えて固まった結果、岩脈となった。やがてそれが隆起し、風雨や波による浸食を受け、現在のような姿になったという。

 構造の起源はさておき、古くから地元に伝わる「橋杭の立岩伝説」がある。弘法大師と天の邪鬼が熊野を旅したときのこと、弘法大師の偉大さに圧倒された天の邪鬼が、本州と大島の間で橋の架け比べをしようと弘法大師へ打診。一晩という区切りを設け、まずは弘法大師から橋を架け始めた。見る見るうちに巨大な岩を海中に立てる弘法大師の姿に焦りを感じた天の邪鬼は、邪魔をしようと鶏の鳴きまねをし、朝が来たと勘違いした弘法大師が作業を止め立ち去った結果、「橋杭」が今も残っているという伝説で、橋杭岩の名の由来ともいわれる。

 名の由来に弘法大師が関係し、弘法大師の偉大さが伝説として受け継がれていることは、熊野というこの土地ならではのものであると感じる。今秋、世界遺産登録10周年の大型観光キャンペーンを迎え、他府県から多くの旅行者が訪れるこの機会に、世界遺産エリアとともに、吉野熊野国立公園の自然と歴史が織りなす造形美にふれてもらいたい。
   (次田尚弘/和歌山)