心移植から15年 太鼓や空手、精力的に

「その日を精いっぱい生きたい」と小西さん
「その日を精いっぱい生きたい」と小西さん

 世界では術後の10年生存率が50%といわれる心臓移植手術を受けながら、術後15年たったいまも元気に、沖縄のエイサー太鼓や沖縄空手などで精力的に活動している男性がいる。それらの練習のため、自宅の大阪市天王寺から毎週、和歌山に通っている小西政志さん(40)だ。「こうして元気にさせていただけているのは、全て『人との出会い』があったから」。日々感謝を忘れない小西さんに話を聞いた。

 大阪市此花区出身。平成5年、19歳の時に体調を崩し、病院で精密検査をしたところ、難病に指定されている「特発性拡張型心筋症」との診断を受けた。心臓の左心室の筋力が弱まっていく病気だという。

 投薬や、心臓がけいれんした時に電気ショックを与える「ICD」を植え込むことで何とか生活していたが、その後、急激に症状が悪化。臓器移植待機患者の登録を行い、25歳の時、国立循環器研究センター(吹田市)で、当時国内ではほとんど例がなかった心臓移植手術を受けた。

 術前1年半の入院期間中は「早く死にたかった」という。いまも月に一度通院し、朝夜の薬は欠かせない。退院後半年で仕事復帰できたが、30代半ばまではマイナス思考が続いた。

 小西さんはエイサー太鼓が好きで、同太鼓と沖縄空手の団体「シャルレモリモトファミリーズ」(新宮市)の公演や練習をよくのぞきに行っていた。「そんなに好きならやってみる?」。同団体の森本あやさん、新垣盛吉さんに出会い、その魅力にすっかりはまった。現在、海南市で月5回エイサー太鼓の、和歌山市で月2回沖縄空手の練習に汗を流している。

 プラス思考に転じたのは5年ほど前、シャルレモリモトの特約店の男性で結成した「男組」に参加したことが大きい。男組では、まず「はい! 分かりました」と返事する▽マイナスな発言をしない――といったルールがあり、それにのっとって何事もプラスに受け取るようにした。最近では男組の松林裕次組長(旬海代表取締役)が監督を務めるチームで野球も始めたという。

 マイナス思考だった時は、病気が分かる前からずっと連れ添ってくれている現在の妻・桂子さんだけが生きる希望だった。いまは娘・歩実ちゃん(9)もいる。「目標は長く生きて、記録更新していくこと。それが皆さんや心臓を提供してくれた人への恩返しになる」と抱負。「80歳でエイサー太鼓をたたきたい。孫の顔も見たいですね」とたくさんの夢に瞳を輝かせ、きょうも精いっぱい、与えられた人生を楽しんでいる。