京都とグジャラート州の新交流 印モディ首相の提案に応えて

二階 俊博

 ナレンドラ・モディ氏がインドの首相に当選されると同時にかねてよりモディ首相と交流の深いインドセンターのビヴァウさんと石川好教授(元秋田公立美術工芸短期大学学長)から電話が入った。

 近く首相が日本を訪問するので、ぜひ私にお目にかかりたい。できれば食事を共にしたいとのことであった。

 モディ首相側の要望は、モディ首相の郷里のグジャラート州は、日本の古都「京都」に似ている点がいくつかある。インドの「グジャラート州」と京都と姉妹都市を結ぶことはできないだろうかと希望を述べて来られた。しばらく前に、京都市の門川市長が訪ねて来られて「あなたは観光振興を長く説かれて来られたが、今ようやくその時代がやって来た」と感慨深く語ってくれた。「それでは、次は何をやりますかと市長の意見を尋ねてみました」。その時門川市長はすかさず「国際観光、国際交流が重要です」と述べておられた。

 インド側の提案を受けると、直ちに、就任早々のインドのモディ首相の出身のグジャラートと日本の代表的な都である京都と姉妹都市を結ぶことは素晴らしいアイデアと考え、京都市長に提案しました。インドのモディ首相の意向をうけたビヴァウ氏と、石川先生に京都に行ってもらって、京都市長との間で姉妹都市の締結の仮調印をしてもらってはどうかという私の提案に直ちに反応され、関係者が京都に集まり、仮調印までこぎつけられた。

 仮調印の報は、直ちにモディ首相に届けられた。

 首相は大喜びで、今度日本訪問の際は、最初に京都から入って首相自ら出席して本調印をしようということになった。

 調印の日の京都の会場には、京都市長や市議会議長をはじめ、政界、財界、仏教界の代表、松本京大総長等、京都を代表する皆さんが集結され、モディ首相との間で、熱のこもった意見の交換があり、食事の際には首相のリクエストで精進料理がふるまわれ、京都とインドの交流は円滑に盛大にスタートすることができました。

 私とインドの出合いで、とても印象的なことは、1999年(平成11年)インドの有力政治家たちと懇談の際、政界の実力者たちも先の選挙で敗れたこと等、しばし忘れて桃色の鮮やかな大賀蓮と、紅色のネール蓮のパネルに見入っていた。

 インド側の出席者の中に政治家であり、文学者でもあるヴィジャリ氏がいた。「ハスは平和の象徴である」というタイトルの本を出版した。ヴィジャリ氏はバジパイ元首相から「いよいよ政党を立ち上げるが、その政党のシンボルマークはハスにするから、ハスにちなんだ本を書くように」と言われた。

 私はヴィジャリ氏からその著書をもらった。本の中には、ハスは仏教の花であると同時に東洋の花である。氷河で凍りつくような地域や砂漠は別にしてあとは世界中どこでも生育すると書かれている。

 かつて北米の五大湖にもハスが大変盛んであったとのこと、インドのことだけではなく、世界中のハスのことに詳しく触れており、日本の大賀蓮のことも詳しく正確に掲載されていました。

 その時私たち一行は、インド人民党本部を訪問し、あらかじめ党本部前に準備してくれていたハート形の池に大賀蓮の蓮根を植えました。
 ハスはやがて1本が2000倍になります。

 今、ロータスロードについて、作家の大下英治氏が立派に力作を書きあげてくれています。やがて、出版され世の中の人々がハスの文化について読んでくれる日が近いと楽しみにしている。

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