トンガで自動車整備 三宅さんが帰国報告

青年海外協力隊員として約3年間、南太平洋のトンガ王国で自動車整備士として活動した和歌山市の三宅弘晃さん(38)の帰国報告会がこのほど、和歌山市手平の和歌山ビッグ愛で開かれた。国内の自動車のほとんどは日本車というトンガで、日本人自動車整備士は三宅さんのみ。「30代後半の協力隊への参加は、一味違った特別な体験になった」と充実した3年間を振り返った。

三宅さんは15年間同市や大阪で自動車整備士として働いた後、青年海外協力隊員として平成25年1月からトンガ王国に派遣。国内唯一の工業系の専門学校で技術指導を行い、任期を延長して昨年11月末に帰国した。

人口約10万人のトンガでは、日本から中古自動車が輸入され、同国の自動車の95%が日本車という。しかし自動車は数年単位で進化し、構造が変わることから、常に知識や技術の習得が必要。三宅さんは青年海外協力隊の同国5代目の自動車整備士として任務にあたった。

車は壊れた状態のまま日本から入ってくることも多く、日本側が問題を起こしている面もあるという。任期中に、国内では手に負えず、三宅さんしか対応できない故障が急増したことで、任期延長となった。

三宅さんは30歳半ば、自動車整備士としての仕事に区切りをつけようと考えていた時「いっそ辞めるなら、この技術で国や社会に貢献してから」との思いで協力隊を志願。講演では「『いなくては困る人』はボランティアとして疑問がある。『いて困らない人』になることを目指そうと思った」と当初の思いを話した。

派遣2年目に、離島の救急車の修繕を頼まれたエピソードを紹介。サビの進行がひどく、修繕への道は困難を極めたが「この車が動かなくなったために救えなかった命もあった。それを思うと、何としても修繕してみせたかった」と話した。

エンジンがかかるようになるまで半年がかかり、これでやっと引き渡せると思った矢先、今度はブレーキが壊れていることが判明。しかし必要な部品は国内になく、任国外旅行で行ったオーストラリアで部品を調達。計8カ月かけて、何とか車の修繕を成功させることができたという。これが三宅さんの自動車整備士としての最後の修理車両となった。

講演後、三宅さんは「トンガで学んだのは、アクシデントがあっても『そういうこともあるよね』と言ってのける、おおらかさ。日本の価値観とは少し違う、裕福さをトンガの人にもらった気がする」と話していた。

トンガでの体験を話す三宅さん

トンガでの体験を話す三宅さん

関連記事

同じカテゴリのニュース一覧