石抜機デビュー55年 東洋ライス発明の原点

洗わずに炊ける「無洗米」の開発をはじめ、革新的な技術で精米業界をリードしている東洋ライス㈱(本社=和歌山市黒田・東京都中央区、雜賀慶二社長)に、発表以来55年間、開発時の原理をほとんど変更することなく製造、販売を続けているロングセラーの機械がある。

昭和36年に発表し、同社設立のきっかけとなった「トーヨー撰穀機」は、収穫後、脱穀された米に交ざった石粒を取り除く「石抜機」。従来は、電灯で下から照らしたガラスの上に米を薄くまき、見つけた石粒を取り除く方法がとられており、米と石を完全により分けることはできなかった。

古来、米を食べてきた日本人にとって、ご飯と一緒に石をかんでしまうことは日常的にあったことで、その不快感を解消した「無石米」の実現は、精米の歴史を変えた。

「トーヨー撰穀機」は、一端を三角形に成形した金属製の容器(撰穀板)が傾斜をつけて設置されており、撰穀板に石粒の混じった米を入れる。下から風を送ると米は浮き上がり、粒と粒の間に隙間ができることで、動きやすくなった石は、揺すられながら三角形の頂点付近に集まっていく。一つのモーターで撰穀板に風を送り、揺するというシンプルな構造ながら、米と石粒の比重や摩擦係数の違いを利用した画期的な技術により、製造の注文は絶えず、国内外で活用されている。

開発した雜賀社長(82)は、少年の頃からのさまざまな経験に発明の糸口を求めてきた。

太平洋戦争末期の昭和20年7月9日、和歌山市は大空襲を受け、精米機の販売と修理業でつつましく暮らしていた雜賀家は家も蔵も焼失し、暮らしは一変。必要に迫られ、12歳の雜賀少年は山や川へ食料を採りに出掛けた。両親と兄、弟を喜ばせるため、川でのウナギ捕獲量を増やすにはどうしたらよいか、ウナギになりきって考え、どんな仕掛けなら餌に飛びつきたくなるか、統計を取りつつ改良するうちに、捕獲量が増えた。

「必要」から考える思考法で生み出した発明は、26歳の時の撰穀機以来、1000を超えた。
米や石粒、機械など、あらゆる立場になりきって発明、開発、修理などを行う姿勢は、相手の立場に立つという意味で全ての基本と考える雜賀社長。平成3年に開発した「無洗米」は、米のとぎ汁による水質汚染を改善し、同17年の「金芽米」は、米を主食とする人の健康増進に役立ちたいと願って発明した。

雜賀社長は、革新的な発明の原点となった撰穀機について、「今見ても、われながらよくできた発明だと思っています。55年が経過し、技術の日進月歩が著しい昨今でも現役です」と目を輝かせて話している。

雜賀慶二社長

雜賀慶二社長

米と石粒をより分ける「トーヨー撰穀機」

米と石粒をより分ける「トーヨー撰穀機」

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