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和歌山さんぽみちプロジェクト

伊勢路旅(36)三重県松阪市⑦

前号から、松阪市出身で国学者として名高く紀州藩に仕官していた本居宣長(1730―1801)の功績を取り上げている。今週は『秘本玉くしげ』の基にある考え方と、それに書かれている代表的な提言を紹介したい。

そもそも本居宣長の国学は、儒教を排し復古神道(儒教や仏教などの影響を受ける前の日本古来の精神に立ち返ろうとする思想)を唱え、国学思想の基礎を固めたもの。決して国粋主義(西欧文化を否定するもの)ではなく、その時代における価値観に支配されずグローバルで自立した視点を重んじられた。

『秘本玉くしげ』は社会で起きている課題に対し、元来の日本の精神に立ち返って改善すべきことを説いたもの。安易に新しいことに着手することを戒め、世の中の流れに逆らわず先人の規範を守りながら道理にかなうよう、急がば回れの精神を基軸としている。

経済政策を例に挙げると「百姓一揆など民の不満を起こさないためには年貢を増やさないよう物事を精査し藩政を執り行うことが藩士らの努めである」「個人、国家、世界の経済状況に差異は生じるものであり、平等ではない世間の財は藩政を執る者が富裕層が納得する形でその財を貧困層へ分配し救済すべきである」「新しいことに着手する際は他人の意見を尊重し、他国の先進事例を参考に皆の同意を得られるかを考えて行うべき」「有事の際はあらゆる支出を抑え、やむを得ない際は藩士の給与を下げるなど身を切る覚悟が必要」――など。

現世では当たり前となったこれらの考え方は、200年以上前の紀州藩内から提唱されたといって過言でないはず。生活の傍ら国学を極め現代の礎をつくった本居宣長は、今も松阪の地で学問の神として崇敬されている。

学問の神として崇敬される「本居宣長ノ宮」

学問の神として崇敬される「本居宣長ノ宮」

(次田尚弘/松阪市)