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和歌山さんぽみちプロジェクト

家康紀行⑱家康が身を隠した「雲立の楠」

八幡宮の境内にある「雲立の楠」

前号では、犀が崖古戦場における戦没者のたたりを鎮めようと始まった伝統芸能で、浜松市の無形民俗文化財に指定されている「遠州大念仏」を取り上げた。三方ヶ原の合戦で敗退をきした夜、夜営する武田軍を攻めた家康であるが、その行動には一つのきっかけがあった。
それは浜松城を目前に身を隠した「浜松八幡宮」にある。今週はここで起きた「雲立の楠(くもだちのくすのき)」という出来事を紹介したい。
浜松八幡宮は浜松城の北東約1㌔に位置する。源頼家が東征祈願をしたという由緒があり、元亀元年(1570)に家康が浜松に居城を移してからは、城の鬼門鎮守の氏神として武運長久を祈ったという。
境内には楠の巨木があり、三方ヶ原の合戦で敗れ城へ敗走する家康がこの楠の幹に空いた洞穴(どうけつ)に身を隠し、武田軍の追手から逃れたとされる。洞穴の中で武運を祈った家康は、楠の上部に、めでたいことの前兆として現れるとされる瑞雲(ずいうん)が立ち昇り、神霊が白馬に跨って城の方へと飛び立つ姿を見たという。
そこで、敗走中であるがこの戦いに利があるはずだと確信した家康は城内へと逃れ、犀が崖で夜営する武田軍の襲撃を決意したという。以降、家康はここを徳川家代々の祈願所と定め、旗や弓を奉納し武運を祈願したとされる。
境内には現在も幹回りが13㍍ほど、高さが15㍍ほどで、樹齢1000年を超える楠の巨木があり「雲立の楠」として静岡県の天然記念物に指定され、厚い信仰を受けている。
遠州鉄道「八幡駅」から徒歩すぐ。市の中心部に4500坪の境内を誇り、緑の木々が豊かで厳かなところ。ぜひ訪れてみてほしい。

(次田尚弘/浜松市)