「IR」正しい理解で議論を カジノありきが原点ではない

門 博文

 お盆も過ぎましたがまだまだ暑い日が続いています。また先週は本県を台風が直撃し各地で被害が発生しました。心よりお見舞い申し上げます。相次ぐ台風の到来、そして何よりも異常を通り越したような高温、まだ終わっていない夏ですが今年はまさに過酷な夏でした。このように気候が激しく変化していく中で私たちはそれぞれが体をいたわりそして世の中をいたわり生きていかなければなりません。
 さてその夏の最中、和歌山市長選挙で尾花正啓市長が再選を果たされました。一期目の実績を踏まえ市民の皆さんの大きな期待が寄せられた大勝でこれからもますます充実した市政運営を私も市民の一人として大いに期待するところです。その選挙の争点の一つとして取り上げられたのが「IR」の誘致についてでありました。私も早くからこの点についてはぜひ推進すべきという立場で活動をしてきております。今回の議論で甚だ疑問と不満を抱いたのはこの「IR」というものについて正しい理解や見識が乏しい中、価値判断の基準を矮小化した印象操作が一部勢力によってなされたという点です。というのも「IR」ということに対して果たしてどれだけの方がその規模や効果をご理解されているのでしょうか。もっと言えばどれだけの方が「IR」の先進地を自らの目で見、肌でふれたご経験をお持ちなのでしょうか。実際を理解されている方が少ない中で「IR」を「カジノ」という言葉で恣意的に矮小化しまた「ギャンブル」という言葉で依存症との関連性の不安をあおりました。全国紙の中でも先の法案を「カジノ法案」と全く印象操作としか思われないような表現を貫き通している社もあります。ここでさまざまな議論をするために私はまず「IR」への正しい理解を促すことを訴えます。そしてその上で賛成、反対の健全な議論がなされるべきです。正しい理解を経て本来の問題点を抽出し誘致のためにはそれらを議論し結論を導き出す。また理解したが反対は反対ということもあるでしょう。肝心なのはまず正しく理解するということです。
 そもそも「IR」とはまずカジノありきという発想が出発点ではありません。
 「公共政策としてのIR」。
 政府がこう位置付けているように外国人観光客が年間3000万人も訪れるようになった日本が改めて「グローバル」な観点に立って今の日本に何が必要か何が足りていないかを考えた時それらを一カ所に集積して整備しようというのがこの「IR」です。例えば「国際見本市」会場。世界中のバイヤーを一堂に集めわが国の工業製品はもとよりさまざまなものをPRし商談するような空間が世界レベルでいうと今の日本にはありません。日本最大といわれている東京ビッグサイトでさえその規模が世界ランクで80位ぐらいです。これでは先進国とはいえません。そしてそのビッグサイトでさえ稼働率が高くなかなか新規の開催が困難とのことです。世界に通用する施設が必要です。しかし先行投資として多額の投資が必要で運営にも当初はコストがかさみます。このような資金のギャップを今までは「公」が面倒を見てきました。しかし今回の「IR」は民間事業者に全てを委ねカジノのような収益性の高い事業から資金を捻出し回転させていくというのがこの仕組みの発想の原点です。和歌山には雇用や仕事が少ないという声が多く寄せられます。この逆境を打破するためにも「ⅠR」は大変魅力あるものと私は思います。数千億円の投資が前提とされていますので消費や税収という点においても計り知れない効果が期待できます。もちろん依存症の問題など対応しなければならない点は真摯に議論し対策する必要はありますが、ぜひ「森」を正しくとらえて「木」の議論をお願いしたいと思います。「木」に固執して将来の大きな「森」を失うことのないように私もしっかり先頭に立って頑張ります。さまざまなご意見、ご質問をお待ちしております。

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