目に見えないものが大切 福勝寺の浦住職

弘法大師空海の開山と伝わり、本堂と鐘楼が重要文化財となっている和歌山県海南市下津町橘本の岩屋山金剛寿院福勝寺。住職として寺に入って5年を迎えた浦弘晴さん(45)は、開かれた仏教を目指し、特産のミカン栽培への参加やイベントへの協力など、積極的に地域住民との交流を深めている。

804年、31歳の空海が唐へ渡る前に橘本を訪れ、岩屋山の滝で海路の無事を祈る修業をしたとの言い伝えが福勝寺には残されている。

本尊は「旅立・厄除・雷除」の請願を立てて安置されたといわれる千手千眼観世音菩薩で、紀州徳川家初代藩主、頼宣も厚く信仰した。寺の背後にある「裏見の滝」は、地形の特徴から滝の裏側にも回って眺めることができ、それを由来に頼宣が名付けたといわれている。

浦さんは岩出市出身。高校3年の夏休み、祖父の孝千代さんが71歳で亡くなり、仏壇で手を合わせているうちに「おじいちゃんを大切にしてこなかった」との後悔にかられ、僧侶になって供養を続けていきたいと願うようになった。

孝千代さんは教育熱心だが頑固な一面があり、孫の浦さんには時に理不尽と思えるほど厳しく接したという。小学4年生の頃にはつかみかかるほど反発したこともあり、祖父との関係については、悲しくつらいことと長く悩んできた。

僧侶の道には周囲の反対もあり、一度は会社員として勤務したものの、休日を利用して仏教を学び続けるうちに、祖父の厳しさを「一生懸命に育てようとしてくれていたのだ、と思うようにしよう」と考えられるようになった。26歳で得度した日は、祖父の8周忌のほんの数日後のこと。後に祖母から「おじいちゃんもお坊さんになりたかったのよ」と打ち明けられ、祖父と自分に不思議な共通点を感じた。

現在は「祖父は命と引き換えに、大切なものを遺志として継がせようとしたのではないか。私の一番の応援者なのではないか」と思う。

こうした自身の体験から「一見不幸せに見えることでも、心にアンテナを立てると良いことに変換できるものです」と浦さん。成果主義に偏重し、生きづらさを感じている人が多いともいわれる現代にこそ、目に見えない思いやりや支え合いが大切なのだと強調する。

福勝寺の住職となったのは、兄弟子が別の寺と住職を兼務しているのを知ったことがきっかけ。自分が福勝寺に移ることを申し出、高野山本部や地域住民の協議を経て、2013年3月、晋山(しんざん、新たな住職が初めて寺に入ること)が許された。

敷地内の庫裏(くり)に妻と2人の子どもと共に暮らす。浦さんの人柄が知られるようになるにつれ、地域との結び付きも深まっている。

地方の寺の暮らしは決して楽とはいえない。ミカン発祥の地とされる橘本で、特産の「蔵出しみかん」の栽培を勧めてくれたのも地域の人たち。地元のイベントに関われるよう、積極的に声を掛けてくれる人もいる。

浦さんも、説法だけでなく、地域の人との活動を通じて仏教を伝えていきたいと願っており、住民の申し出をありがたく感じている。10月には地域の歴史になぞらえた婚礼イベントがあり、新郎新婦に加護を授けた。

子どもの友だちも寺に遊びに来る。寺と地域のさまざまな人々とのつながりが広がっていることに目を細めている。

「祖父が一番の応援者です」と浦住職

「祖父が一番の応援者です」と浦住職

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