再びの聖火に夢 東京五輪ランナー山添さん

2020年の東京オリンピック・パラリンピック開幕まで、およそ1年半。前回の東京五輪で聖火ランナーを務めた和歌山県和歌山市の山添利男さん(73)は、当時の感激を胸に新たにしている。県庁の聖火台に点火した山添さんは当時19歳。約3万人という大観衆の拍手と声援を受けた晴れがましい経験を思い起こし「世紀をまたいで再び東京オリンピックに関われたら」と夢見る日々を送る。

1964年9月26日午後3時、県境の孝子峠で大阪府から引き継がれた聖火は45区間にわたってリレーされ、27日正午、真土峠で奈良県へ渡った。

山添さんは第13区の正走者で日赤病院前から県庁までを担当。美しいフォームの練習を重ねて本番に臨み、県庁前に設けられた聖火台にトーチを掲げて点火した。「うまく火が燃え移った時にはほっとしました。この感激を胸にこれからはりきって仕事をしていきたい」との感想が、当時の新聞記事に残る。

山添さんは、自身の勇姿を報じた数々の記事を丁寧に切り抜いてアルバムに貼り、保存している。知人らから贈られた、沿道の様子や家族と撮った写真は約20枚に上り「会う人が口々に『良かったな』と言ってくれたことがうれしかったです」。

切り抜きは、オリンピックの前年に開かれた第18回山口国体に関するものもあり、ソフトボール競技の戦況予想に「山添利男投手(18)が好調なので、一回戦の長崎ゆうかりクラブに勝てば、優勝候補になろう」などの記述が見られる。山添さんは当時、住友金属和歌山製鉄所のソフトボール部の投手を務めており、聖火ランナーの選出は、スポーツ競技で優秀な成績を収める16~20歳の人が対象だったことから、白羽の矢が立った。

山添さんは、かつらぎ町出身。豊かな自然の中で育ち、中学校では軟式テニス部の学校代表として活躍。住金へ訓練生として入社後、昼休みにキャッチボールで遊んでいたところ、監督に投球センスを認められて実業団へ。コントロールが良い速球の投手で鳴らした。

今もシニアソフトボールチーム「いきいき和歌山」の代表と監督を務め、明朗な人柄で約20人のチームをまとめている。練習にいそしむ日々を送りながら、オリンピック開催が近づくにつれ、当時、共にランナーを務めた45区間、総勢1035人に思いをはせる。「皆さんも、もう一度走りたいとの思いを抱いているのではないでしょうか。もしも会う機会があれば、『またチャンスが巡ってきましたね』とお互いに喜び合いたいです」とほほ笑む。

娘の利恵さんも「いつも前向きで、自慢の父です。とても元気なので2度目の聖火ランナーを務める姿が見られたらうれしいです」と話している。

東京2020オリンピック聖火リレーは、3月12日(現地時間)にギリシャ古代オリンピア市で採火されてスタート。国内は26日に福島県を出発し、以降全国を回る。県では4月10、11日に実施される予定。

当時のランニングウエアでアルバムを手に山添さん

当時のランニングウエアでアルバムを手に山添さん

関連記事

同じカテゴリのニュース一覧