各国独自の「食と文化」を尊重 「商業捕鯨」再開までの長い道のり

二階 俊博

私自身が生まれ育った故郷・和歌山県から、「代議士」として選出いただき、35年以上が経過しました。これまで、微力ながら、地元の同志の皆さまに支えられ、導いていただきながら、和歌山県が抱えるさまざまな課題に正面から取り組んでまいりました。そのひとつに捕鯨問題があります。
日本政府は昨年12月26日にもはや機能不全に陥ったIWC(国際捕鯨委員会)から脱退し、今年の7月1日より日本の排他的経済水域(EEZ)内に限り、商業捕鯨を再開する決断をくだしました。自民党の捕鯨議連会長を務めている私にとりましても、大きな前進であると政府の対応を強く支持したいと思います。
和歌山県太地町は網やモリを使って鯨を捕獲する「古式捕鯨」発祥の地であります。その歴史は約400年も前に遡り、今でも太地町の漁師の皆さまは海の大きな恵みに畏敬の念を抱きながら、先人から受け継いだ、捕鯨の伝統と文化を守り抜いてくださっています。
思い起こせば、日本が戦後から復興を遂げる時代において、食糧が十分でなかった時代に、鯨の肉は日本人の重要なタンパク源として重宝され、1960年代には「商業捕鯨」が最盛期を迎えました。学校給食で鯨の竜田揚げなどを経験された方々も数多くいらっしゃると思います。それ程に、鯨の肉は子どもたちの成長にも欠かせない食材でありました。
しかし、IWCでは1982年にごく一部の種類の鯨が減少傾向にあるという理由だけで、全ての「商業捕鯨」が一時停止に追い込まれました。私が初当選させていただいたのがその翌年でありましただけに、私の国会議員生活の始まりの時から「商業捕鯨」再開に向けた長い戦いが始まりました。
私はこの問題について、これ以上「商業捕鯨」が過去のものになれば、いずれ日本の食卓から鯨が消え、太地町をはじめとする全国の捕鯨の伝統と文化が消え去ってしまう危機感が常にありました。同じく捕鯨が盛んな山口県下関市を選挙区とする安倍晋三総理とも何度となく意見を交わしました。また国際社会に対し、日本の考えを丁寧に説明しながら理解を得る努力も積み重ねてまいりました。同時に、私たちは、他国の食と文化に対し高圧的な態度で接したり、その歴史までも否定したりすることは決して行いませんでした。しかしながら、いわれなき非難を浴びたり、太地町では実力行使を伴った妨害行為まで行われたりすることもありました。
私はどこの国にも固有の食と文化があり、それを互いに尊重し合うことは、当然であると強く主張したいと思います。しかも、捕鯨中止の間に鯨が世界的に増え、鯨が魚を捕食(水産庁によると人類の漁獲量の3倍から5倍)することによって、水産資源の減少につながっていることは専門家の指摘の通りであります。
長い長い戦いの末に、私たちはついに「商業捕鯨」再開の道を切り開くことができました。本年7月1日、北海道釧路港から太地町の船団が出港します。船員の皆さまの無事を祈りつつ、改めて今日まで400年の伝統・文化を命懸けで守って来られた、三軒一高太地町長をはじめとする、関係者の皆さまの熱意に最大限の敬意を払いたいと思います。
これからも私自身が「代議士」である限り、故郷・和歌山に寄り添いながら、地元の同志の皆さまと戦い抜くことをここに誓いたいと思います。

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