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和歌山さんぽみちプロジェクト

水戸名物「納豆」の歴史

前号では、「光圀饅頭」の別名を持つ水戸の銘菓「大みか饅頭」をはじめ、茨城県の特産品にちなんだ数々の菓子や土産品を取り上げた。関西地区の私たちでもすぐにピンとくる水戸の名物といえば、やはり納豆だろう。今週は納豆の歴史を紹介したい。
諸説あるが、納豆の起源として知られるのは永和3年(1083)、源義家が奥州の平定に向かう途中、義家の軍勢が常陸国で宿営。義家が泊まった屋敷で家来が馬の飼料として作った煮豆を藁で包み保存したところ、煮豆が発酵し糸を引くようになった。
試しに家来が食したところ人も食べられるおいしい食料であることに気づき義家に献上。義家は偶然にしてできた納豆を喜んだことから、将軍に納めた豆という意で「納豆」と呼ばれるようになったという。常陸国で納豆文化が広まり、光圀は有事の際の非常食として目を付け、製造を推進し有事に備えさせたとされる。
水戸の納豆が全国的に有名となったのは、明治22年の水戸線開通の頃。少年らによって駅前で土産品として藁に包んだ「藁納豆」を販売すると、小粒で柔らかい食感が人気となり、やがてホームでも販売されるようになり、汽車の窓から客が奪い合うほどになったという。
納豆の製造が盛んになった理由はもう一つある。台風のシーズンになると県内を流れる那珂川が頻繁に氾濫。台風が襲来する前に収穫できるのが、納豆の原材料として使われる小粒大豆であったことも、水戸と納豆の深い結び付きであるといえる。
(次田尚弘/水戸市)