花開く「サイクリング王国・和歌山」 ~コロナの先にサイクルツーリズムの可能性~

二階 俊博

私と自転車政策の出会いは、今から50年以上前になります。私は大学卒業と同時に、建設大臣を務められた遠藤三郎代議士の秘書として、政治の道を歩み始めました。遠藤先生は農水省時代に和歌山県の経済部長として赴任され、当時県議会議員を務めていた、父・俊太郎は親交を深くさせていただくご縁に恵まれました。その様な関係から、遠藤先生の下で11年間にわたり国会議員の秘書を務めさせていただきました。
その間、様々な政策の推進に携わらせていただきましたが、中でも印象深かったのは「自転車道整備法」の成立と「太平洋岸自転車道」構想でした。ある日、遠藤先生から「少し忙しくなるがやってみないか」と声をかけられました。「自転車道整備法」を議員立法で作ってみないかというお話でした。サイクリングは国民の健康増進に寄与することはもちろんですが、当時は、全国の交通事故全体の17%を自転車関連の事故が占めていました。この現状を少しでも改善するために、同法の立法に昼夜を惜しんで奔走した事が懐かしく思い出されます。国会での資料集めから地方での聞き取り、内閣法制局との折衝、そして自動車道整備を優先させたい建設省の説得等、調整は多岐にわたりました。数々の紆余曲折を経て、1970年(昭和45年)4月、同法案は与野党ともに満場一致で可決、成立しました。
続いて、私は和歌山県から千葉県へと繋がる「太平洋自転車道」構想を推進するため、御坊市サイクリング協会を設立し、「おはようサイクリング」と称し、毎年自転車振興運動を実施したり、新宮市から和歌山市まで271㌔の道のりをキャラバン隊で走破したりしました。もちろん、当時は私も参加しました。時を経て先日、この「太平洋岸自転車道」が国交省の指定する「ナショナルサイクルルート」の候補に指定された事は、長年にわたり構想を推進してきた身として大変感慨深いものがあります。
最近は県庁を先頭に「サイクリング王国・和歌山」を積極的にPRいただいています。県内の各市町村役場に行くと、必ずサイクリング推奨コースのパンフレットを目にします。また、県内を車で移動していると、サイクリストの皆様が風を切りながら、気持ち良さそうに紀伊半島をかけぬける姿をよく見かけます。
コロナの影響は観光立県を目指す和歌山県にとって、深刻な打撃をもたらしました。私たちはここから立ち上がるために、コロナ終息後の先を見据えて、今から仕掛けを行っていくことが重要です。紀南地方では自治体間の協力・連携が進み、熊野一周(約200㌔)コースを「クマイチ」と命名し、首都圏のマーケットに売り込みが始まりました。南紀白浜空港は日本一サイクリストに優しい空港を目指すと伺っています。さらにはe―バイクの普及や最先端技術を使った安全走行の工夫も進化を遂げるでしょう。
県民の健康増進と新たな観光客の誘致。私も皆さんと一緒にサイクルツーリズムの盛り上げを応援します。春の訪れとともに、「サイクリング王国・和歌山」が花開くことを期待しています。

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