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和歌山さんぽみちプロジェクト

200年続く、紀州の伝統「三宝柑」

前号では、和歌山県有田郡で生まれた新品種で、清見と文旦を交配させた「春峰(しゅんぽう)」を取り上げた。今週も、和歌山県で生まれた伝統的な春柑橘である「三宝柑(さんぽうかん、さんぼうかん)」=写真=を紹介したい。
三宝柑は和歌山市の生まれ。江戸時代の紀州藩士・野中為之助の邸宅(現在の和歌山市今福付近)にあった原木に由来する。文政(1818―1829)の頃、野中氏が時の紀州藩主・徳川治宝に珍しい柑橘(かんきつ)ができたと献上したところ、治宝自身が気に入り「三宝柑」と命名。献上する際、三方(さんぽう)と呼ばれる台に載せていたことが、名付けの理由という。
以降、治宝は三宝柑を藩外へ持ち出すことを禁じ、栽培にも制限をかけたことから、農水省が公表している2018年産特産果樹生産動態等調査(2021年2月公表値)では、200年たった現在でも、他県での生産はごくわずかであることから、和歌山県以外の実績値は記載されていない。主な生産地は湯浅町、広川町、田辺市。中でも、湯浅町の栖原地区で栽培される三宝柑は最高級品といわれている。
サイズは300~400㌘と大きめ。2月から4月が最盛期とされ、5月ごろまで店頭に並ぶ。甘味は強くないが香りが良く、マーマレードなどの加工品や、中身をくり抜いて茶わん蒸しなどの料理の器として使用されるなど、さまざまなアレンジができるのも魅力の一つ。
生産量は約500㌧あるが、最盛期(1980年ごろ)の約4000㌧と比べると大きく減少。他の春柑橘の出現で致し方ないのかもしれないが、紀州伝統の春柑橘を後世に受け継いでいきたいものである。
(次田尚弘/和歌山市)